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33歳の誕生日!こどもの頃思い描いた大人は32歳で止まっていた

ナイル川沿いの飛行機


お誕生日おめでとう、私。

33歳になりました。

今日は子どもの頃思い描いていた大人についてと、その現実・これからの展望について思うことを書いてみようと思います。

 

子どもの頃独りだった私の逃げ場は未来しかなかった

私は夢見る少女でした。

これだけ書くと、ほわわんとしたかわいらしい女の子のイメージですが、実際は11歳まで男の子にまちがえられていた、いつも仏頂面の子どもでした。

はるか

夢見るのにも理由がありました。

思い返せば3歳の時から人間関係に悩み、トライ&エラー&エラーを繰り返してきた私は、小学校に入る頃にはもうすでに人付き合いに疲れていたのです。

そして、どんなにトライしても、今思えば見当違いなことも多々してしまい、子ども時代の8割はずっと「ひとりぼっち」でした。

  • どうしてみんなできることが私にはできないのか。
  • どうしてみんなうまくできることが私にはやれないのか。

ずっとこんなことばかり考えていました。

人に、嫌われることがとにかく怖くて、現状維持するだけでも大変でした。

私は苦手なものが多く、とりわけ体育は不得意とするものでした。

でも、残念ながら私の通う小学校・中学校・高校はチームワークがなければなりたたないスポーツばかりが盛んで、案の定私は授業でも孤立しました。

ただえさえ孤立しているのに、運動音痴でよけいに悪目立ち。

何より、同じチームの人に「うわ、あいつと同じチームか」と言われたり、目で言われたり。

パスラさん

恥ずかしいやら申し訳ないやら、ちょっと悔しいたら。

ここでもし運動ができたら、独りじゃなくなるきっかけになるかもしれない。

そう思って、放課後一人で練習したり、家ではボールを買ってもらってバレーボールの特訓をしたり、両親につきあってもらってマラソンの練習をしたりしました。

ある時、幼馴染とも言える男子に

「もっとやる気出せよ」

的なことを言われ、その子にだけは強く出られたので、

「毎晩、練習してるし」

と言い返しました。

でも、

「うそばっかり!」

と言われ、確かに結果につながっていなかったのでそれ以上は言えませんでした。

でも、ある日、その男子が言いに来ました。

「ほんまやったんやな。昨日の晩、走ってるの見た」

マラソン大会の1週間前くらいのことでした。

私は「勝手にうそつきよばわりしたの、あんたやん」とか言いたいのを我慢し、

「そっか、見てたんや」

と、なんだか嬉しくも思いました。

結果、マラソンだけはマシな順位で走り終えることができました。

でも、やっぱりチームで戦うようなスポーツはずっと苦手で、家でも一人では対策できることもなく、チームメイトの足をひっぱり、ミスをする度にあちこちからため息の大合唱。

はるか

けれど、少しずつ、がんばってきたことに結果がついてくるようになりました。

やっぱり個人プレイなことばかりですけどね。

絵とか勉強とか音楽とか体育の一部とか。

それは、私に才能があったからでしょうか?

いえ、ちがいます。

その年代の子達よりも少しだけ早く苦手を克服しようと努力したおかげで、この時代だけは結果が出やすかったのです。

なので、継続力があり、ほんとに努力家かつ才能がある子達には、ある時期からはどんどん引き離されていきました。

それでも、賞をもらったり、知らない大人に褒められたことは大きな自信につながりました。

子ども時代のひとりぼっちは暗黒で、いつも消えたいという思いに飛び込むか逃れるか悩んでいましたが、今となっては神様が私に用意してくれた特別なハードルだったと思えます。

だって、ひとりぼっちって、誰もがなれるわけじゃない。

 

 

未来の私は、きっと過去の私を喜ばせる。

未来の私は今の私を笑わない。

未来の私はきっと独りじゃない。

こう夢見ることで、私は私を保ってきました。

今考えると、どこまでも自分のことしか考えてない愚か者ですが、もし過去の自分に会えるなら、ぎゅっと抱きしめてあげたい気持ちになります。

 

その時の気持ちは、こちらの記事にも書いています:

小学生に編み物(かぎ針)を教えて思い出したこと

 

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どうして未来の自分に託すことができたのか考えてみる

未来の自分にすがるというか、たくすというか。

理由は2つあると思います。

 

一つは、両親が、とりわけ母が私を根拠も何もないのに肯定してくれたこと。

はるか

ものごころついた前から、母が「晴香は何でもできる」と言いつづけてくれたこと。

ま、小学校中学年にもなれば「そんなわけない」と思い、それが顔に出ていたのか母はあまり言わなくなりました(笑)

それでも、「何もできないわけではない」と思えるようになったのは母のおかげ。

正直、母の愛情や期待を重く感じていた時もありました。

人間関係なんかで辛くてみじめだった時は「なんで私を生んだんだ」とかひどいことも思いました。

けれど、その愛情をよけいな詮索や根拠を考えずに受け入れられるようになってからは、少し楽になりました。

 

どうして受け入れられるようになったか。

これが二つ目の理由につながります。

10歳の時、私は家にあった(母が昔路上でもらった)新約聖書を読破しました。

そして、誰にも知られずクリスチャンになりました。

知ってました? いい行いをしたからキリスト教になるんじゃないんですよ。

パスラさん

信じたら、クリスチャンなんです。

たまに私のことを嫌いな方に「クリスチャンじゃない」とか言われることもありますが、それはあなたが決めることじゃありません。

刑務所にいる方だって、クリスチャンはいます。

よく宗教は縛るものとかいうイメージをもたれがちですが、きちんと自分の肌で感じるところまで知ればわかるはず。

「神様と自分の一対一の関係で、どこまでも自由に解き放たれ、伸び伸びと生きられるライフハック」というのが私の解釈です。

 

話はそれましたが、この出会いは大きかったです。

本格的に教会に行くようになったのは17歳からなので7年間も神様から、聖書から離れずにいられたことは、私にとってはもう奇跡としかいいようがありません。

さて、そんな素晴らしい世界のベストセラー・聖書ですが、何が書いてあったかというか、そりゃあいろいろ書いてあるわけですが、目から鱗だったことの一つが、これ。

「神様にとっては人間は誰しも子どもだということ」

そう、つまり、母も父も神様の子どもということ。

祖父母の子どもであると同時に、神様の子だということ。

つまり、両親も一人の小さい人間だということがわかりました。

これがわかったのは、ほんとに大きかったです。

全然行動には伴っていませんでしたが、気持ちだけは常に「子どもから親への愛」と同時に「神様の子どもとしての兄弟愛」が芽生えたんです。

この気持ちはなかなか理解しがたいかもしれませんが、そう思えたことで何がわかったかを書いてみようかと。

  • 自分が親に勝手に大きな期待をしていることに気付いた
  • 自分が自分の思う理想の愛され方しか受け入れられていないことがわかった
  • 想像とちがう反応が返ってきた時、どうしてそんな反応になったのか考えなかった
  • 自分がどれだけ親に甘えてきたか、考えが足りなかったかを思い知った
  • 自分が今までどれだけ両親に愛情を向けていなかったか痛感した

人って、自分の思う愛され方しか受け入れられないんですよね。

それが普通で、私も今もそうではあるんですが、やってるつもりがコミュニケーションが足りなかったなと思いました。

それからは、両親を一人の人間として観察するようになり、おかげさまで拙著に出てくる「母親」像はよく褒めていただきます(笑)

傍にいる人を無条件で愛すのは難しいことだなと今も思います。

でも、そうできたらいいな、なんて10歳の私は思ったのです。

ということで、子どもだった私が未来の自分に自分を託せた理由の二つ目は、自分の環境を受け入れ、周りの愛情を素直に受け止めることで将来に一筋の光を見つけたからです。

 

32歳で痛感した大切なこととこれから考えて実行したいこと

上記したとおり、私は夢見る夢子でした。

なので、子どもの頃の日記には、この先の展望もメモしていました。

1998年(11歳) ⇒ 本をいっぱい読んで本博士になる

1999年(12歳) ⇒ 絵で賞をとる

2000年(13歳) ⇒ 油絵とかもっとやりたい

2001年(14歳) ⇒ 友達とマクドに行く

みたいなね(笑)

この、予定表みたいな展望メモは、二十歳ぐらいまでつづき、それ以降は大きなイベント(結婚とか)が書かれていました。

でも、子どもにとっては二十歳でもけっこうな大人なのに、30歳以上って想像もつかないんですよね。

なんとか32歳ぐらいまで書いたものの、33歳以降は想像もできない。

その33歳に、私はなりました。

いや、なれました。

 

32歳は、引っ越ししたばかりで家がごたごたして、新生活に慣れるので必死。

それからJICAの青年海外協力隊(短期)応募のための準備にてんてこまい。

青年海外協力隊(短期ボランティア)の応募書類の志望動機(日本語教育)に苦戦した話

そして、合格して訓練があり、エジプトへ出発!

そんでもって、エジプトで奮闘……始めた頃に一時帰国。←今ここ

 

と、そこそこ忙しかったわけですが、これまでの忙しさとは違い、心の筋トレとも言える日々でした。

数か月しか海外にいなかったわけですが、それでもこれまでの自分がいかに型にはまっていたかと、その型に守られもしてきたことがよーくわかりました。

痛感したのは、私が正義だと思い、日本では一般的にいいと思われていることでも、他国ではマイナーであることもあるということ。

はるか

例えで言うならば、「順番を守る・守らない」とか。

エジプトは、そもそもみんな順番なんて自分も気にしないし、されても気にしないので「守る」って概念がほとんどない。ポリスでさえも。

こういうことがいくつもいくつも重なると、ちゃぶ台返ししたくなる気持ちになったものです。

私の当たり前は周りの当たり前でないし、周りの当たり前を自分の当たり前にしなくていい。

日本は、できる人が多いのですばらしいことではあるのですが、どこか「いい人=普通」だと思うんです。

でも、エジプトでは「いい人=すばらしい人」で、その寛容さというか、とにかくこれも目から鱗でした。

私は今まで、普通の人になるためにがんばってきたけれど、そんなにがんばらなくてもよかったんだな、と。

「いい・悪い」じゃなく「楽しい・楽しくない」で考えてもよかったんだと。

私がいい人ぶるのをやめたところで、神様は私一人のためには世界を滅ぼすことなんてないでしょう。

何を思いあがっていたんだ、私は。

そう、32歳の私が痛感したのは、「人生を楽しんでいい」ということ。

 

これを踏まえて、これからしていきたいことは、

  • もっと広い世界が知りたい
  • 自分に合う環境を選んでいきたい
  • 人目を気にしない
  • 何もできなくても心は配る
  • 感謝の気持ちを忘れない

なんか、書くとわりとありきたりな感じになってしまいましたが、考えるだけ考えるんじゃなく、考えて行動しなきゃ意味がないので33歳はがんばります。

 

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33歳の私がこれから叶えたい夢と展望

周りの支えや助言、助けのおかげで、子どもの頃思い描いてきた夢が大方叶っている私。

アイスクリーム、一度にお腹いっぱい食べる!とか、レターセット大人買い!とかね。

大変なのはこれから。

私の子どもの時の予定表とも言える展望メモには、33歳以降はないのです。

今、やっと私は今日から「大人」になったような、そんな気持ちです。

はるか

なにしよっかなー

私は、(努力を怠らず、感謝を忘れず、視野を広くもち、無理をしすぎなければ望むものに近いことは)何でもできる。

 

33歳というより、33歳~の夢は……

  • 小説をこれからも本にしたい
  • 日本語教育教材としての小説を書きたい
  • 日本語教育教材をもっと作成したい、教科書の例文とか読解文とか
  • 海外(ベトナムとか中国とか)で働きたい
  • 子どもと海外旅行へ行きたい
  • 絵本テキスト作家になりたい
  • 夕飯のレパートリーを増やしたい
  • めんどくさがりをやめたい
  • 合理性ばかり考えないようになりたい
  • 夫に自分を押し付けない
  • 日本で日本語塾みたいなのを開きたい
  • 小学生に創作の楽しさを伝えたい
  • 体力をつけたい

うーん、ほんとはもっとあるんやけど、まだ言葉にしにくいー!

 

さて、33歳もはりきって動こう!

トップの写真は、エジプトで一時帰国前に撮ったナイル川。

飛行機の形のボート、かわいい(^^)/

 

32歳になる時は、こんなことを考えてました:

子どもの頃想像もしなかった30代とこれからのビジョン(夢)の必要性

今読み返すと、成長してへんな。

とりあえず、考えるより動きます。

 

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