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丁寧に暮らさなくても生きていけるということ

こんにちは。

よく「まじめ」と言われる私ですが、実はそうでもなくずぼらな嘉成です。

そもそも、「まじめ」だからと言って片づけができるか、丁寧に暮らせるかというとそうでもないですよね。

片づけ・整理整頓がきちんとできるって、才能だと思うんですよ。

半分くらい言い訳ではありますが、あながちまちがっていないかと……どうでしょう?

なんにせよ、どうにもこうにも、「きちんとしなければ」「丁寧に暮らさなければ」という「良い」ことに圧迫されてしまう私です。

みなさんはどうですか?

今日は、より生きやすいようにと思いを巡らしたことを書きたいと思います。

決して、まじめに生きることや丁寧に暮らすことを否定しているわけではなく、肩の力の抜き方を考えるといった感じです。

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丁寧な暮らしとはどんな生活か私なりに考えてみる

さて、みなさんは「丁寧に暮らす」ってどんなイメージをお持ちでしょう?

私ね、まずこの「丁寧に暮らす」っていう響きが好きなんですよ。

できてないのにね。

いや、できてないからこそのあこがれなのかなぁ。

家の中の雰囲気的には、ミニマリストの方とそうでない方の間くらいのものの多さで、それくらいの手間暇をかけてる感じ。

他には……

  • 急がずゆっくり(せかせかしてない)
  • 休む時にも準備をする(お菓子はちゃんと皿に盛る、とか)
  • こまめに洗濯する(私はいっきにドカッと洗ってまう)
  • かばんや靴などはもちろん、家のもの(包丁とか)もメンテナンスを先延ばしにしない
  • 使ったものは元に戻す(そもそも私はこれができない)
  • 時間がない時も「やってしまう」でなく、できるところまでする(私はとりあえず終わらせることを考えがち)
  • 備蓄はしすぎない(家が備蓄品であふれる)
  • こまめに掃除する(私は中規模掃除をたまにするタイプ)
  • 一つ一つ、確実に片付けていく(私は平行していろいろしすぎ)
  • 季節のものを家の飾りや食事に取り入れる(私は気が向いた時だけ)
  • お風呂にゆっくり入る(温泉は好きだけど、お風呂はササっと入りがち)
  • 家の中のものや数を把握している(私はよく冷蔵庫で「発見」する)
  • ものが増えたら、断捨離できる(子どものものが得にできない)
こんなことを考えてます。

つまり、丁寧な生活とは、

  • 自分のペースで(人のためでなく自分のために)
  • やるべきことを楽しんで(やっつけ仕事にせず)
  • ものを大事にする

ことなのかな。

はるか

じゃあ、どうして私はそれができないのか?

そうしたいと思っているし、実践だってしているのにつづかないのか。

気が多く飽きやすいので絶望的に片づけができない私を認めることから始める

この前知ったことですが、私はHSS型HSP気質があるらしく、(人を4つのグループに分けた時の分類)

その特性には「飽きやすい」とか「片付けできない」とかもあるそうなんです。

HSS型HSPの気質をもった生き方:疲れを軽減するには

でもね、これを言い訳にしても、そもそも誰に言い訳してるんだって感じです。

けどね、「自分が片付けできないのは異常ではないかもしれない」という可能性は、私を救いました。

なので、認めようと思います。

はるか

私は、片付けに、丁寧に着実にすることに向いてない!

私はできないことができる人をとても尊敬しているので、これまで「苦手」なことに立ち向かってきました。

だからって、全部対峙しなくてもいいかもしれません。

毎日のことですから、できるようになった方がいいんだけど、毎日のことだからこそ、自分を追い詰めなくていい。

 

そして、そもそもどうして「丁寧に暮らせない」か。

もちろん私の気質もありますが、「丁寧に暮らす」より優先したいことがあるからなんですよね。

私は自分の好奇心に(本能とも言う)怖いくらい忠実で、子どものようです。

楽しそうなことがあると、すぐそっち優先してしまう。というか気付いたらもう始めてる。

それが周りの反感をかうことになることもしばしばで、でも私は悪いことしてるつもりは全然ないので人間関係がこじれる。

これまでの人生、この繰り返しでした。

幸運にも好きなことが全部仕事になったので、「仕事」だったら胸張ってできるわけですし、どうやったらいい仕事できるかばかり考えています。

なので、正直「あれを時間かけてするくらいなら、仕事したい」とかよく思う。

はるか

時間は有限でみんなに平等だから、どう使うかが大事でしょ。

ついそう考えてしまう。

これが一番の理由かな。

困ったもんだよ。

こんな自分にあきれるけれど、でも嫌いじゃないのがやっかいよね。

丁寧に暮らさなくても・オシャレでなくても生活はできるし困らないし生きていける

なので、開き直ることにしました。

自分では決めたつもりなくても、確実に私の中には「優先順位」が存在してるんよね。

仕事って、生活の内側にあるものなんだから、「暮らす」ことも大切にしなきゃならないのはわかってるんだけどね。

丁寧に暮らさなくても、オシャレな感じでなくても生活はできる。

 

はるか

それなりに清潔で、ものがどこにあるか自分が把握できているなら、何も困らない。

好きなものに、好きな人に囲まれて、新たな「好き」を見つけて愛せるものを・人を増やしていく生活。

思えば私にとっての「丁寧な暮らし」って、こうなのかな、と。

目に見える「丁寧」も大事だけれど、自分の心をざらざらさせないのも、とても重要。

心をなめらかに整えることって、実は家を片付けるより大変なんじゃ?

 

はるか

とか、結局「言い訳」みたいなこと言ってみる

自分にとって心おだやかでいられる空間をつくることが、「丁寧」な生活なのかも。とか思ってみたり。

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毎日に必要なのは「ちょっとだけする」こと・それ以上は疲れるのでしない

だからってね、限度がある。

放っておいても家はあれるし、ものは散乱する。

ということで、最低限はしなきゃな、と。

でも、あえて「がんばらない」ことにします。

ちょっとだけ、します。

あとは疲れるのでやめます。

 

さて、何をするか。

いろいろいっきに片付けようとするので(よけいちらかったり)疲れるので、

1つだけすることにします。

具体的には、

  • 一か所だけ掃除する
  • 一か所だけ片付ける
  • 一つだけ何か断捨離
  • 一つだけメンテナンス

どうでしょう。

これでも1年は365日あるわけですから、つまりその数「片付け」られるわけです。

そして幸運にも私は、私よりは片づけができる夫もいるので、年間700ぐらいは家を整えられるわけです。

夫とどう家事・育児の分担をしているか(2020年版)

ま、子ども(5)がちらかしてその数を大幅に下げるかもしれませんが、自力で数を戻してくれることに期待しております。

 

さて、ということで「できることをできるだけ」でなく、「できることもしない」というものすごいことを語りましたが、

私のようにめんどくさがりな上にやる気もなく、おまけに疲れやすい人にとっては、この考え方はわりと重宝しそうです。

無理して家の中を整えるより、子どもと遊ぶ方がいい時も多いしね。

さーて、明日は何を片付けよう。

話はそこからだ。

 

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