こんにちは。
先日、小惑星が地球に接近するというニュースを読んで、こんなツイートをしました。
最後の「2079年」てのに思いを馳せてしまった。
巨大な小惑星が地球に最接近、望遠鏡でも観測可能 https://t.co/KywTKQAtGP @cnn_co_jpから
— 嘉成晴香🌻新刊『HIMAWARI』 (@kanariharuka) April 30, 2020
2079年、今年よりも、より接近する、とのこと。
2079年ですよ、2079年。
59年後。
そこで、考えたわけです。
もしかして、まだ私、死んでないかも、と。
明日の命だって、健康な人だって確証されているわけでもないのに、こんな考えは滑稽かもしれませんが、「生きてる」可能性もあるわけですよね。
もし、生きていたとしても、私は92歳。
私はいったい、どこで何をしているだろう。
なんにしろ、
- 「小惑星接近」のニュースを聞いて、59年前に今感じていることを思い出す
- ただ「小惑星接近」のニュースを聞いて、「ふーん」とか「おお!」とか思う
- 認知症とか重い病気とかで、ニュースを聞いても理解しない
- そもそも「小惑星接近」のニュースが耳とか目に入ってこない
のどれかかな、と思うんです。
小惑星接近のニュースから遠い未来を身近に感じる
今年の4月29日の小惑星接近、望遠鏡でも見られたとのことですが、結局私は家にこもっていただけで(コロナでが外出自粛もあり)見たりはできませんでした。
でも、もしぶつかったら地球に多大な影響を与えるという巨大な小惑星に想いを馳せました。
どこから来て、どこへ行くのか。
そして、59年後に戻ってくるんですよね。
それを計算した天文学者さんのこと、その家族のこと。
想像しかできないけど、このニュースは私を確実に未来を身近に感じさせてくれるものでした。
先日、5歳の息子が、花瓶の花はどうして枯れたのか聞いてきました。
ちゃんと水あるのにって。
そこで、生きてるものはいつかはみんな死んでしまうことを話しました。
それが彼にとっては衝撃だったようで、その後はよく、
「ウサギさんも、いつか死ぬの?」
「サイさんも、いつか死んじゃうの?」
「クジラも?」
と聞くようになりました。
その度に、私が彼に「生き物はみないつか死ぬ」と教えたはずなのに、私がハッとさせられるというか。
順当にいくと、私はこの子をおいて先に死ぬんだなと。
はるか
小惑星が戻ってくる59年後、子どもは64歳。
彼はうまくいけば、そこそこ元気で生きている可能性がありますよね。
「5歳の時にも来た小惑星だ!」
なんて、ちょっとでも覚えていれば楽しいのにな、なんて私は思います。
小惑星接近のニュースからわりと遠い過去をもう一度引き寄せる
大人になるまでは、「10年前」なんて、ものすごく昔でした。
15歳の時も、まだ「10年前」はそんなに昔でないというか。
昔話の「むかし、むかし、あるところに」には程遠いというか。
でも、30歳も過ぎた今、少しは「昔」を語れるようになってきたなと思います。
そして、それを嬉しくも思います。
若い人に押し付けて老害にならないように気を付けなければなりませんが、自己の歴史を振り返って思いをはせるのは悪くないものだなと思います。
今回、小惑星接近のニュースをきっかけに、どうしたら「時間」を感じられるか、過去をもう一度引き寄せて、それを実感できるかを考えました。
いろんな方法があると思いますが、
- 過去と現在の共通しているもの・ことで、でもそれについて意見が、感想がちがうものを見つける
というのが一番かな、なんて。
具体的には、
- 今回の「小惑星」のようなニュースを思い出す
- 子どもの頃読んだ本を読み返す
- 小さい頃行った場所をもう一度訪れる
こんな感じ。
子どもの頃感じたことと、感想が変わっていなければ、それはそれでよし。
「変わってない」ことを感じられれば、それでよし。
変わったことを感じられたら、それもよし。
そのちがいはどうして生まれたか、記憶をサルベージするもよし。
「変わってない」「変わった」
これを感じる瞬間、それが過去を引き寄せてギュっと抱きしめた感覚かな。
私、二十歳の時に、7歳までいた団地に行ってみたんです。
はるか
公園の遊具の色があせていて、それでも時間を感じました。
団地のまわりの、よく遊んだ場所でも、
「あの時〇〇ちゃんに〇〇って言われて悔しかったな」
とか思い出しました(笑)
大きく深呼吸したら、なんだかちょっと泣きたくなりました。
「時間の流れ」を感じる・想うことで生きることについて考えてみる
生きることは、なかなか大変だと思います。
現状維持だけでも、何一つ一人ではできません。
特に親になってからは、私の場合、子どもを「守る」ことに生活の大半というか9割くらいのエネルギーを使います。
でも、一人の大人として何かを成したいという気持ちもあり、バランスを考えながら生きるのに必死です。
人間の平均寿命が延び、特に日本人の平均寿命は高くなりました。
子どものことを「次世代」と言いますが、私としては現役でばりばり活躍される親世代が多くいらっしゃることから、私の世代が次世代なのではと思わずにいられない今日です。
はるか
けれど、このバランスは意識すればするほど難しい気がします。
1:2とか、2:3とか、そういった単純で明快なバランスでなく、実際は1.2569:2.789とか、小数点以下も必要というか。
ここ、少しでも崩れると全部崩壊するというか。
私はこれまで、このバランス(私の場合、子どものことと、子ども以外のこと)をいかにうまく理想的な状態にするか、いかに早くもってくるか、考えに考えていました。
でも、最近思うのです。
はるか
なので、毎日バランスを考えるんじゃなく、「今日は子どものこと」とか「今日は仕事だけ」とか、日によって優先順位を変えるのもありかな、と。
長いであろう人生においてのバランスでいいんじゃないかと。
周りに頼りながら、相談しながら、何よりも自分が楽しめるバランスを追い求めること。
一日一日で節目はきますが、もう少し長いスパンで考えてもいいかな、と考え始めました。
こんな記事も書きました:
小惑星接近のニュースを覚えてくれるかどうかはわからないけど5歳の子どもに話してみる
さて、5歳の息子に小惑星のことを話してみましたが、まだ難しいみたいです。
「地球」や「宇宙」の概念は、アニメなどで多少あるようですが、「巨大な小惑星」なんて大きいか小さいか私もわからないのにうまく私が説明できるわけもなく。
はるか
なんにしろ、先ほど書いた「私は子どもに何が残せるか」を、いっしょのベッドに寝ながら考えるわけです。
そこで考えたのは、
- 厳しくも魅力的な生きる術
- 楽しい思い出
こんな感じでしょうかね。
私は子どもを生む前、どうせなるならすてきな親になりたくて私なりに努力しましたが、その時の努力は子どもには全く役に立っていません(笑)
子どもといっしょに乗り越えるのをあきらめなかった努力だけが、実を結んでいる気がします。
はるか
人生って選択の連続で、かくれ選択肢なんかもあったりで、正解も人によってちがう。
だから自分の子どもにとっても何が一番いいかなんてわからない。
ただ、いっしょに笑えることはまちがいじゃないと信じています。
そして、私が良い例だなんて言えないですが、一番身近な例として、これまで生きてきた私の人生の失敗やうまくいったことを話して聞かせたいなぁ、なんて。
どうとりつくろっても、私は私にしかなれなくて、子どもに残してやれるのは自分自身しかないんだろうなと思います。
意見がわかれるでしょうけれど、私が思う実りある人生とは、心をどれだけ震わせられたか、だと思っています。
嬉しいことでも、悲しいことでも、自分のことでも、だれかのことでも。
音楽でもいい、美術でもいい、道に落ちてる石にでもいい。
じんわりとくる震えでも、ぶるぶるするものでもいい。
心を震わせられる自分でいること。
そして、それに対して自分は何ができるか考えること。
できないことも多いけれど、それでも、想いを巡らせること。
愛をもって接すること。
時間を感じることって、重ねてきた想いを厚みを感じることに近いんじゃないかなって思います。
私は10年後、59年後、何を重ねているかな。
実は夜空が大好きな私。
はるか
最近の天体望遠鏡って、スマホのアプリと連動できたりするのね。
これならより楽しめそう……
買ったら子どもも興味持ってくれるかな……。
トップの写真は、エジプトで2カ月半暮らしていた時に行ったアブシンベル神殿の夜明け。
ちょうど太陽祭の時で、神秘的ですばらしかったです。
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