こんにちは。
児童文学作家の嘉成晴香(かなりはるか)です。
先日、子どものリクエストでウマのぬいぐるみを作ってみました。
つまり、久々に裁縫をしたということです。
そこで、本当に久しぶりに「指貫(ゆびぬき)」を使いました。
今日は、そんな話。
裁縫セットは小学校の時に学校で注文して買ってもらったもの
みなさんは、裁縫セットをお持ちでしょうか。
ソーイングセット、とも言うんでしょうか。
だいたいの人は、自分の裁縫セットは小学校の家庭科で「裁縫」を習う時に購入するような気がします。
あとは、おうちにある裁縫セットを、箱に入れて小学校へ持っていったり。
今の小学校は、いつから「裁縫」するんだろう。
私の時は、たしか小学5年生の時だったかなぁ。
それまで、編み物は小4からかじっていましたが、「針と糸」は全く触ったこともなかったので、正直ビビった記憶があります(笑)
なぜかと言うと、うちの母がもっていた裁縫道具入れは、こんな感じの厳かな雰囲気だったからです。
とっても「大事」なもので、「大切」で「神聖な」感じがしたのです。
でも、「箱」などの入れ物が好きだった私は(今も好き)、あこがれてもいました。
なので、小学校から買うようにと「ソーイングセット」のパンフレットというかチラシが配られ、目を通した時にはちょっとがっかりしました。
だって、箱がプラスチックで、当時はやっていたキャラクターやディズニーのものばかりだったから。
私は、どうせなら母の持ってるようなごついのがほしかったのです(笑)
ま、思えばそんなの買っても重くて学校に持ってくの大変でしたけど。
もう、母の裁縫道具から必要なものをちがう箱に入れて持ってってもいいと思いましたが、せっかく買ってもらえるということで、結局私は「大人になっても飽きがこなさそう」という理由で、「101匹わんちゃん(ディズニー)」の絵柄の裁縫セットを選びました。
それに、日頃は姉のおさがりが多いのに新しいものを買ってもらえるのが嬉しかったのです(*’ω’*)
小学生の時は指ぬきを使ったことはなかった
裁縫セットを初めて学校に持ってった日、先生が「これは○○という名前」などと説明してくれました。
指貫は、その説明の最後らへん。
小学生ですから、縫うのはフェルトとか薄い布だけなので、結局当時は指貫を使うことなく終わりました。
この前、馬のぬいぐるみを作っている時に、フェイクレザーなので決して分厚いわけでも硬いわけでもないんですが、思い立って指貫を使っていると、夫が一言。
「それ、何?」
はるか
「何に使うの?」
はるか
「えっ、そうやって使うん?」
はるか
「小学校の時、それでロードオブザリングごっこしてたわ(笑)」
はるか
あっはっは(笑)
小学男子らしい遊び方やな(笑)
指ぬきには、私の旧姓の名前が母の字でありました
小学校で必要だったものということもあり、裁縫道具には一つ一つ、待ち針一本に至るまで名前がついていました。
私の旧姓が。
それを懐かしいなと思いながら、この前は裁縫セットを久しぶりに使ったわけです。
しばらく集中して、ふーとため息をついた時、はたと気付きました。
この名前の字、書いたの私じゃない。
お母さんかな。お母さんやんね。
この裁縫セットを買ってもらったのって、小学校5年だから、私は当然自分の名前くらい自分で書けたはず。
なのに、全部書いてもらったんだ!!
そう思うと、なんだか胸がしめつけられました。
そして、情けなくも思いました。
自分で書けよ、と。
今、うちの子は4歳で、保育園に入る時、新しい用品を買った時、私が名前を書きます。
それは、子どもがまだ名前を書けないからです。
そうか、小5になっても親に書いてもらってたのか、私は。
これってうちだけなのかな。
甘えすぎてたな、私。
これじゃ、もし子どもがだいぶ大きくなって自分で名前を書けるようになっても、中学生までは快く書いてあげないといけなくなったなぁ。
「もう大きいんだから自分で書いて」
とか、言えないなぁ(笑)
小学校の家庭科での思い出のほとんどは作品に書きました
家庭科という授業が、私は大好きでした。
なにより、「ものを作る」というのが好きだったからです。
けっして上手ではなかったんですが、けれど誰よりも楽しんでいました。
その思い出は、私のデビュー作『星空点呼』にほとんど書き込んでいます。
主人公3人のうちの一人、「美咲」が「家庭科室で」体験するほとんどは、実話。
物語に出てくる家庭科室の位置も、母校の小学校と同じです。
(今は変わってるかもですが)
小学校時代、私は人間関係を築くのがこれも上手でなく、大変な思いもしました。
けれど、小学校の時には一度も使わず買ったのが「無駄」だったと思えた「指ぬき(セットで買うので除外は難しい」を、今、自分の子どものぬいぐるみのために使うことになりました。
こんな風に、手元にあるけれど今は使わないものでも、先々になって役に立つもの、あるんですよね。
どんなものも、経験も、得たものは財産。
小5の私のために母が書いてくれた名前を、その20年後に改めて私が見たことで、私は私の子どもにやさしくすることができそうです。
なんてすてきなやさしさの広がり。
たった一つの小さな指ぬき一つでも、イライラをおさえられたりもするなぁ。
どんなに丁寧にしても、なみ縫いを「波のように」縫ってしまう私ですが、これからもチャンスがあれば裁縫にチャレンジしたいな。
新しい自分に、またきっと出会えるから。
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