こんにちは。
日本語教師をしております、嘉成晴香(かなりはるか)です。
⇒「日本語教師養成講座を出て7年!日本語教師になってよかったこと3つ」
おそらく皆様にとってはどうでもいいことを書きますが、私にとってはどうでもよくないことなのでお付き合いください。
どうでもいい話は無駄だと思っていた子どもの頃
子どもの頃から、どちらかというと合理主義というか、無駄なものは嫌いでした。
(ここで言う「子ども」は、小学生の時のことです)
そのわりに無駄なことばかりしていたような気がしますが、自分がするのはよかったみたいです(笑)
はるか
その頃の私が思う「無駄」とは、こんなこと。
- 授業中の先生の話の脱線
- 友達が話す、友達の悪口
- どうして天気の話なんて必要?寒くても暑くても、どうしようもないのに
- 親に叱られている時の最後の30分(ごめんなさい。ほどんど耳に、頭に入ってなかった)
- 食事中の話(さっさと食べ終わりたかった。話すような楽しいこともなかった)
他にもいっぱいあった気がします。
こう見ると、嫌な子どもだわー。
でも、これらを思い出して、哀しくもなりました。
私、けっこう……いや、すごく寂しい子だな、と。
上記からわかることは、
- 人の好意を受け取れない
- 情熱がない
- 日々を楽しもうとしない・できない
こんな感じでしょうか。
成長と共に世渡りが上手になったけれど
そんな私も、少しずつ周りと関りを持つようになり、それなりに友達も増えました。
前までは無駄だと思うことがあると躊躇なく嫌な顔していましたが、そんなこともなくなりました。
はるか
けれど、それは「人と仲良くする技術」を学んだだけで、やっぱり心のどこかで「無駄なものは無駄」と思っていたのです。
というわけで、徐々に私は疲れてきました。
納得のいかないことをつづけるには、毎日のことなので大変だったのでしょう。
言葉は「手段」であり「遊び」でもある
私が、そんな「人付き合い」の疲れから少しだけ解き放たれたのは、日本語教師になったのが大きいです。
日本語教師は外国人(日本語学習者)に日本語を教えるのが主な仕事。
でも、所詮、言葉は「言葉」でしかないのです。
人の心の内まで教えることはできません。
もちろん、日本人は「本音と建前」というのを使い分けるという文化は紹介できますが、その事例を全て挙げることは不可能です。
「言葉」は食事するためのスプーン、フォーク、はし、ナイフなんかであって、よく考えるとなくたって手で食べることもできるんです。
つまり、手段。
わかっていたはずなのに、日本語教師になってから、それをもろに突き付けられたというか、そんな感じです。
と同時に、「言葉」は楽しいものでもあるということです。
つまり、遊び。
はるか
だからこそ、言葉で人を楽しませたりすることもできるということです。
どんな言葉にも裏側(意味)・奥行き(隠れた願い)がある
日々、日本語教師として言葉と密に触れ合うことで、私は知りました。
どんな言葉にも、人から発せられる言葉には意味があり、隠れた願いがあるということです。
私がこれまで「無駄」だと決めつけていたものにも、きっとあったでしょう。
はるか
例えば、まだ知り合ってばかりで天気の話やとりとめもない話ばかりしていたら、もしかすると相手は緊張しているのかもしれません。
また、共通点をさぐったり、あるいは心を開きたくないと思っているかもしれません。
同じ話ばかりする人がいたら、「もう聞き飽きた」とか言いたくなることもありますが、それだけその話は相手にとって重要で、自分にまだ理解してもらえてないと思っているかもしれません。
その場合、いつもなら「うん、うん」と聞いていたとしても、もう少しつっこんで「それでどう感じたか」「周りに人はいたか」「その後の人生にんな影響があったか」などをかみ砕いて聞くことで、今後が変わってくるかもしれません。
言葉は、例え「おなかすいたなぁ」の一言であっても願いが込められているんですよね。
自分が「どうでもいい」と思う言葉こそ見落とさないことで、相手の本質や美点を見出すチャンスになるかもしれません。
最近した「どうでもいい」ような大切な話
私が勤務する日本語学校には年に数回「講師会」というものがあります。
勤務する先生方が集まってする会議なんですが、その後、いつも理事長のご厚意で宅配ピザがふるまわれます。
はるか
いつもこの「ピザを食べる時間」が大好きなんです。(もちろんピザも大好き)
そこで、「どうでもいいこと」を話すのが楽しみなんです。
もちろん、授業や学生のことなんかも話しますよ。
でも、その先生の人となりがわかるのがすごく嬉しくて。
先日の講師会では、「アップルパイを容認するか否か」という議題があがりまして……(笑)
なんでも、「果物は加工しないでフレッシュなまま食べるべきだ」という先生が多数いらっしゃいまして、「果物は、レーズンしかり、ジャムやコンポートにしてもおいしい」という派と分かれました(笑)
はるか
という新たな発見があったりで、とにかくおもしろかったです。
日本語教師という仕事上、「例文」が命で、その例文は学生の身近であればあるほどいいとされています。
ということで、「苦手」という言葉を導入する時、この議題は使えるんじゃないかと。
許可は取りますが、「〇〇先生はレーズンが苦手です」と例文を出すのもいい!
それに、伝聞の「~そう」で、「〇〇先生はレーズンが苦手だそうです」にも使える!!
ってなことで、どうでもいい話にこそ、ダイレクトな意味はなくともヒント、またそれを覚えておけば仲良くなるチャンスが生まれるということです。
ほんとに嫌な相手とは、どうでもいい話さえしません。しても、ごく短時間。
ということで、どうでもいい話ができる間柄、尊いです。
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