『人魚の夏』が第69回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞しました!

子どもの頃おこづかいで買ったテディベアの話

子どもとぬいぐるみ


こんにちは。児童文学作家の嘉成晴香(かなりはるか)です。

人形、ぬいぐるみ。

好きな人もそうでない人もいるでしょうが、「子どもの頃は好きだった」という大人はけっこういるんじゃないでしょうか。

はるか

今日はぬいぐるみについての思い出を書いてみたいと思います。
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時期によって好きなぬいぐるみが変わる

私が子どもの頃は、数を持っているというわけではありませんでした。

けれど、大小含めるといくつかはあり、よく遊んでいました。

はるか

みなさんは、いくつ持っていましたか?

ぬいぐるみは、同じ子ども時代であっても時期によって自分にとってのナンバーワンが違いました。

時期によっていっしょに遊ぶ友達が変わったって感じです。

パスラさん

物心付いた時の最初の友達(ぬいぐるみ)

物心付いた頃は、ピンクのウサギのぬいぐるみ

その時は「大きい」と思っていましたが、あの頃は私が小さかったのでほんとのところどうだったのか今では定かじゃありません(笑)

好き過ぎて、

「大きくなったらピンクのウサギさんになる!」

と言っていたそうです(笑)

はるか

色指定……。

でもね、これには今思えば深いわけがあるんですよ。

ピンクのウサギさんは、

  • ピンクという愛らしい色
  • みんなに好かれる「うさぎ」だということ
  • かわいい

 

とまぁ、好かれる要素をたーくさん持っていたわけです。

物心がはっきり付いた頃に、私の姉は小学1年生で、学校が宿題やらでとても忙しく、母もそれにつきっきりでした。

この頃の私は、あまりかまってもらった記憶がありません。

決してそれが嫌だったとか、妬ましかったというわけではありません。

とってもいい妹だったので?、

「お姉ちゃんがんばって!」

と勉強机の後ろから声を殺して応援していました。

喜んでもらえたらと牛乳をコップに入れて運んだことも。

はるか

まぁこぼして怒られたんですけど。

姉のために持ってきたつもりだったのに、テーブルで飲みなさいと。

 

ということで、ピンクのウサギさんは私の唯一の友達であり、いつもかまってくれる家族。

そう思われるウサギさんに、私はなりたかったのです。

 

こんな感じだったような気がするんですが、記憶はあいまい……

白いタオル地のくまのぬいぐるみ

それから何人か(いくつか?)友達は代わりました。

もう一人、思い出深いぬいぐるいがあります。

それは、その頃の私(5歳ぐらい?)の手のひら大のぬいぐるみ。

白いくまさんで、タオル地。

わりと小さいので、よくどこに置いたかわからなくて泣きながら探しました。

パスラさん

今は私の子どもが遊んでいるブロックのケースにいっしょに入れてしまっていたり、ふとんのシーツにはさまっていたり、洗濯機の上だったりと、なかなかに家の中を冒険したくまさんでした。

とはいえ、その頃の私は「人形遊び」でなくお絵かきでした。

スケッチブックに絵を描いたり、ノートに絵日記をつけたり。

嘉成晴香の5歳の絵日記「表紙」

 

こんなの。

嘉成晴香の5歳の絵日記「幼稚園」

なので、くまさんと遊ぶことは少なくなっていました。

 

そんなある日、母が言ったのです。

「いらないおもちゃを処分するから、まとめて」

私は姉と共用の部屋の、自分だけのものが許された引き出しをガサゴソ整理しました。

そして、また数日後、母はこう言いました。

「お人形さんは、淡島神社に持っていこう」

淡島神社とは、私の故郷である和歌山市の加太にある神社で、人形奉納で有名なんです。

 

私達家族は車に乗りました。

その道中、ふとぬいぐるみがいくつか入った透明の袋に目を留めました。

他にも運ぶものが多かったので、後部座席の真ん中に置いてあったのです。

その中に見つけました。

「私のくまちゃん!」

その頃はあまり遊んでいなかったのですが、それでも私にとっては「ピッタリな名前をつけるためにずっと考えている」ような存在でした。

なので、ずっと「くまちゃん」と。

袋に入っているということは、神社に持ってかれてしまうということ。

いつの間にこんなところに。

「捨てちゃうの?」

小さい声で言うと、前の席の母が振り向きました。

「最近遊んでなかったでしょ。それに、もう真っ黒じゃない」

たしかに、くまちゃんはもう白くありませんでした。真っ黒ではなかったけれど。

なんとかうまいこと言って袋から出したい。

でも私にとって母は絶対的な存在で、遊んでなかったのは確かだし、いい理由が思いつきません。

その日は、世界全てを鮮やかにするような、明るい日でした。

神社に着き、車から外に出ると、袋ごしでもくまちゃんは白く光りました。

泣きたいのに涙は出ませんでした。

結局私はそれから何も言えず、くまちゃんとさよならしました。

「ごめんね」

勝手に好きになって、勝手に遊ばなくなって。

名前だって、最後まで決められなかった。

 

私は数日後には元気になっていました(笑)

 

『エルマーの冒険』というお話をご存知でしょうか。

小学校の国語の教科書にも出てきた、大好きなファンタジーです。

この物語の翻訳者、渡辺茂男さんの言葉にこんなのがあります。

「実在しない生き物が子どもの心に椅子を作り、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる」

私の大事なくまちゃんは、私の心のモヤモヤしたものをかきわけ、イスを置く場所を作ってくれました。

今、その心のいすには、息子がちょこんと座っています。

 

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10歳の時におこづかいを貯めて買ったテディベア

10歳の時、私はおこづかいを貯めてテディベアを買いました。

和歌山市民ならみんな知ってる?「パームシティ」というショッピングモールの中にある雑貨屋さんで。

これです。

茶色いテディベア

当時のおこづかいは、1ヶ月500円

テディベアは、確か2000円

はるか

ということで、買うのに半年近くかかったんです。

友達との付き合いもあったので、おこづかい全部を「テディベア貯金」することはできませんでしたから。

私は「おこづかい帳」をつけていて、その中の額が増える度ににんまり(笑)

と同時に、雑貨屋さんのテディベアが売り切れてしまわないか不安で、パームシティを訪れる度にチェックしていました。

やっとで買ったテディベア。

もう人形遊びはほぼ卒業していたので、部屋に飾っていました。

どうしてテディベアを買おうと思ったか

それには、ちゃんと理由があります。2つ。

自分だけのテディベアがほしくて

うちには、物心つく前から大きいくまのぬいぐるみがあります。

グレーで、小さい花を持ったくま。テディベアってより、「くまの人形」。

これは、母のくま

母がとっても若い時に買ったそうで、大学の寮(数人で相部屋だったそう)にまで持っていったそう。

はるか

けっこうでっかいのに!

私はその話をよく聞いていて、「自分で手に入れたくま」がほしくなったのでした。

 

『だれも欲しがらなかったテディベア』という本の影響

だれも欲しがらなかったテディベア』という物語が大好きだったからです。

私の父は図書館の司書で、毎日のようにいろいろと本を借りてきてくれました。

はるか

その中にあったのが、これ。

お話はぬいぐるみ工場から始まります。

そして、できあがったテディベア達は、見た目がいいものだけパッキングされます。

その他は、廃棄されるんです。

でも、主人公の「廃棄されるはずだったテディベア」はひょんなことから工場を出ます。

私はこの主人公と自分を重ねていたかもしれません。

そして、大事にできるくまがほしくなったのかもしれません。

 

私のテディベアは子どもの腕に

私の大事なテディベア。

今は、息子(3)のもの。

くまのぬいぐるみ

二人、似ています(笑)

 

これからは、息子のぬいぐるみの物語が始まるんだな。

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