こんにちは。
青年海外協力隊(短期)としてエジプトで活動していました嘉成です。
(ただいま、一時帰国中)
先日、3月9日(月)に、ルクソール西岸を観光してきました。
- 王家の谷
- ハトシェプスト女王葬祭殿
- ハブ神殿
ルクソール東岸を、9時ごろ出発!
今回はそのレポートです!
コロナ対策で観光客はほとんどホテルから出られない日ということもあって
観光しようと思っていた日が、ちょうどコロナウイルス対策で、観光客のほとんどがホテルから出られない日でした。
もともと、コロナウイルスの影響で観光客が減っていたんですが、この日は街からほとんど観光客が消えました。
はるか
と心配しましたが、開いてました!
ルクソールに滞在してもう2カ月経っていましたが、まだ行ったことがなかったんです。
ルクソール西岸へはタクシーをチャーター
ルクソールは、ナイル川をはさんで東岸と西岸にわかれています。
東岸には空港や駅、ルクソール神殿やカルナック神殿などの有名観光スポットが。
西岸は死者の街と言われ、王家の谷をはじめ、様々な神殿が点在しています。
はるか
西岸へは、個人旅行ならナイル川をフェリーなどで渡ってからタクシーに乗るか、東岸からタクシーで橋を渡っていくかの二択。
私は懇意にしているタクシードライバーさんがいて、(エジプシャン料金で利用できる)その方に1日400エジプトポンド(日本円で約2700円くらい)でお願いしました!
タクシーを1日チャーターすると、好きなところどこでも行ってくれます!
もしルクソールやその周辺を観光するのにタクシーを使いたいなら、オスカーさん(友人でもあるドライバーさん)をご紹介しますので、ご連絡ください!
各観光スポットで、タクシーを降りてからもけっこう歩くので、一日チャーターが便利です。
エジプトは観光地も道がでこぼこしていたり、砂地ですべりやすくなっていたりするので、歩きやすいシューズを強くおすすめします。
ルクソール西岸の目玉!王家の谷とは
Wikipediaさんによると、
エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。
新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。その後の長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くも盗掘を受けたが、1922年に発掘されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。
墓にはKV1~KV64という名前がつけられている。KVはKings Valleyの頭字語、数値は発見順の連番である。ただし西の谷の墓はWVで始まり、WV22~WV25となっている。
とのこと。
ちなみに古代エジプトの新王国時代とは、
エジプト新王国(紀元前1570年頃 – 紀元前1070年頃)は古代エジプト史における時代区分。エジプト第18王朝の王イアフメス1世が第15王朝(ヒクソス)を滅ぼしてエジプトを再統一してからの時代が新王国に分類されている。古代エジプト文明が最も栄えた時代であり、この時代に建てられた無数の記念建造物、文化遺産は今日でもエジプトに数多く残されている。
こちらもwikipediaさんより
です。
かんたんに言っちゃえば、3000年以上前のエジプトの王達のお墓ってことですね。
王家の谷の入場料は、200ポンド(日本円で1300円くらい)だったかな。
チケットを1枚買うと、現在公開されている墓の中から3基を選んで入ることができます。
ツタンカーメンの墓など、特別なお墓に入る場合は別料金。
スマホでの写真はOKだけれど、カメラはNG。
カメラチケット(300ポンドだったかな)があれば、OK!
王家の谷!王達のお墓の美しさに見とれました
それでは、どんなだったか、見ていきましょう。
まずは上の写真をご覧ください。
ものすごいすいてますよね(笑)
王家の谷に入ったところです。
ルクソールにしてはめずらしく、うっすら雲がかった空。
王家の谷の奥に行くには、少し歩かなきゃなりません。
上の写真は、4ポンド(25円くらい?)とか6ポンドとかでで乗れるらしい車。
でも、歩いても3分くらいなので乗らなくてもOK!
今も、遺跡の発掘中。
それでは、お墓を見ていきましょう。
普段なら並んで見なきゃならないそうですが、ほぼ貸し切りでゆっくり見ることができました。
お墓の中はこんな感じ。
色が今も残っていることに、感動!!
真ん中の人、かわいいよね。
まだお墓が新しかった古代でこれを見たかったなぁ。鮮やかだったんだろうね。
お墓のお棺。
王家の谷のピラミッド?
王家の谷の奥。
岩山の一番上、ピラミッドみたいに見えるでしょ?
お墓が作られた時代も、そう呼ばれていたんだって。
このピラミッドの下の墓の王様(名前忘れた)は、だからここにお墓を作ったんだとか、ガイドしてくれたエジプト人の友人が言ってました。
ハトシェプスト女王葬祭殿とは?
お次は、ハトシェプスト女王葬祭殿。
Wikipediaさんによりますと、
エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。ハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けた。手前にはメンチュヘテプ2世の王墓があり、あわせて、デル・エル・バハリ(Deir el-Bahri。アラビア語で「北の修道院」の意味。後にコプト正教会の教会として使われていたため)とも呼ばれている。1997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。
とまぁ、無差別殺傷テロ事件があった、なんとも悲しい場所でもあります。
ちなみにトトメス3世は、ハトシェプストの夫であるトトメス2世の側室の子。
ハトシェプストはトトメス3世が幼かったことから摂政となり、さらには王になります。
はるか
個人的に、エジプトの歴史のことは全然詳しくないのですが、ハトシェプストは一押しの人物。
ハトシェプスト女王祭殿の入場料は100ポンド(650円くらい?)。
ハトシェプスト女王葬祭殿を満喫!
こちらも、人がいなくてがらがら!
王家の谷からタクシーで5分くらいだったかな。
時間はお昼に近付いてきたので、暑い!!
近付くと、こんな感じ。
葬祭殿のテラスには、冥界神オシリスに扮したハトシェプスト像が並んでいます。
ハトシェプストは唯一の女性ファラオということで、周りの反発もすごかったとのこと。
その策として?男性ファラオのように、公式の場ではあご髭をつけていたんだとか。
だから像も、女性だけどあご髭がついてます。
ハトシェプストという名前には、「最も高貴なる女性」という意味があるらしいです。
ハトホル女神さん。
ラムセス3世葬祭殿!ハブ神殿とは?
ハブ神殿とは、ラムセス3世葬祭殿のこと。
wikipediaさんによると、
エジプト新王国・第20王朝の2代目のファラオである。古代エジプトで大きな権威を持った最後のファラオと称されている。
とのこと。
どうして「ハブ神殿」という名前で通っているかというと、神殿建築の技師だった神官アメンホテプ・ベン・ハブーが由来だそう。
(ちなみに彼は王ではありません)
先日行った「メムノンの巨像」の後ろにあったという巨大な葬祭殿も、ハブーさんの建築とされています。
メムノン巨像は、先日行ってきました:
彼は死後も人々に讃えられて、この辺りが「ハブの街」と呼ばれるようになりました。
ということで、ここにある神殿は「ハブ神殿」と呼ばれるようになったとのこと。
ハブ神殿は落ち着く雰囲気
こじんまりとした神殿ではありますが、これまで行ったどの神殿(といっても、そんなに行ってないんやけど)よりも落ち着くというか、力強い雰囲気がありました。
ライオンの頭をしているセクメト女神。
巨大な塔門!
間違って描いてしまったらしく、重なってるところが左に見えますね。
間違ってしまった絵師は、処刑されてしまったそう( ;∀;)
ラムセス3世の像が並んでいます。
真ん中の細長いものがかたまったもの、これ、舌なんですって……
戦いに勝ったラムセス3世は、敗者の手や舌や……を切り取って持ってこさせたのこと。
人数がわかるように。
ひー
青がとってもきれい。
エジプト観光!ルクソール西岸をもっとまわりたかった!
ハトシェプストさんが好きなので、彼女のことをいろいろ調べていったことからハトシェプスト女王祭葬祭殿は特に感激しました!
王家の谷もハトシェプスト女王葬祭殿も、けっこう歩くんですよ。
朝から行きましたが疲れてしまって、もっとまわりたかったんですが、お腹もすいたしで無理でした(笑)
古代エジプトの遺跡を巡ってみていつも思うのは、ほんとに私は現在に生まれてよかったとこと……。
確かに、何千年も未来に残せる権力、技術はすばらしいし、それを拝見できて幸栄ではあるけれど、なんだろ、同じ人間なのに人権がなさすぎて、この時代だからしかたないかとか思いながらも、ガイドさんのお話を聞いているとけっこう辛くなります。
はるか
うまり、壁に残すほどの誉れあることだったんでしょ。
エジプト赴任の前に読んだ「王家の紋章」でも、主人公のキャロルは度々嘆いています。
私は現代人で、特に日本人ということもあり、小さい頃から人権について学ぶ機会が多々ありました。
なので、聖書の教えは完全なる真新しい感じはありませんでしたが、イエス・キリストの時代でも(エジプトの新王国時代が3000年前、イエス・キリストの時代は現在2020年なのでそれぐらい前)民衆にとって「目から鱗」だったにちがいないということが想像できます。
ただいま私は一時帰国中。
この先のことはまだ何にも決まっていないけれど、またいつか、もっとルクソール西岸を巡ってみたいな。
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