こんばんは、嘉成です。
「ゆ」ってかわいい形だなって、子どもの頃から思ってます。
そして、「ゆ」と言えば「湯」ですが、今日はあえてこれではなく……。
「夢」をもつことにこだわりがあった子ども時代
「夢」があることは、かっこいいことだと思ってました。
今も、いいことだとは思っています。
でも、子ども時代はやたらそう思ってたんです。
夢を持つことはステイタスというか、すてきで無敵!みたいな。
そこで、なんでここまでこだわっていたのか考えてみました。
ここ数年、ずっと思いをめぐらした結果……。
子ども時代、私は何も持ってなかったことに気がつきました。
たいして勉強も運動もできることもなく、美的センスもなく、友達もおらず、
だからって家族が一番大事!って感じもなく、大事なものがあるようでそんなにない。
そんな子ども時代でした。
だからこそ、夢だけは持っていたかった。
つかまっていたかったんです。
夢って、言ったもんがちなとこもありますよね。
そして、だいたいは他の人にはとやかく言われない。
かなってなくても、子どもなんだから問題ない。かっこ悪くない。
だからこそ、魅力があったのかもしれません。
今は、夢はあってもなくてもいいな、とは思います。
ただ、夢をもてたらやっぱり生活に張りが出るな、とは思います。
今の夢はですね……世界旅行と、長く長く物語を書けたらいいなっていうのかな。
「勇気」を出すことは自分を磨くことだと10歳の時に気付きました
初めて「勇気」なんて難しい言葉を知ったのは、アンパンマンの歌詞でした。
♪愛と勇気だけが友達さ~
ってやつ。
というわけで、なんだか身近な言葉になったわけですが、だからって使いこなせるかは別問題でして。
10歳の時、勇気を出すことは自分を磨くこと、削ることだとなんとなく知りました。
学校での人間関係に悩み、私はこの頃、「自分が動かなきゃ人は動いてくれない」と知りました。
そして、自分が動くには勇気が必要、ということも理解しました。
勇気を出すってさ、ほんとめんどう。
でも、このめんどうなことを少しだけでもしないと、自分を夢へと導いていけない。
デビュー作の『星空点呼』では、「ちょっとの勇気」をテーマに書いています。
「許す」ことは自分を解放するということだなぁと思う
私は根に持つタイプです。
根に持つというか、いつまでもクヨクヨ思うタイプというか。
そして、それは自分にたいしてが一番大きく、自分を許せなくて、だいたい毎日勝手にしんどい思いしています。
でも、「許す」のって大事だな、と。
自分を解放するために。
とか言いながら、イメージはその反対なんです。
傷付いたり辛い気持ちを、丁寧にやわらかくてあったかいベッドに寝かしてあげる感じ。
そして、たまには起きていいけれど、いい夢見てねって声をかけてあげる。
そんなイメージ。
ちなみに人に対しては、許すのは得意です。
たぶん、こだわりが少ないんでしょうね。
そういうもんなんだって思うのが得意なのかな。
ほんとに、心からそう思えるこんな自分を、私は気に入っています。
自分でも少し、寂しいと思うこともありますが。
ひとまず、私は「できない私」をこれから解放していきたいです。
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