国内の日本語学校で日本語教師をしている先生なら、一度は経験したことがあるだろうこと。
それは……
クラスが学生のおしゃべり(もちろん日本語ではない)であふれ、あふれ、あふれて、
うるさくにぎやかすぎな教室で、立ち尽くすこと。
パスラさん
このまま帰ってもだれも気付かないんじゃないだろうか?とか思うほどまでいくと、いよいよやばい。
好きな言葉じゃないので極力使わないようにしているけれど、「やばい」
教室がおしゃべりでうるさくなるとどうして悲しくなるか
まず、ここから考えてみよう。
- 学生のおしゃべりの声が大きくて、他の学生(勉強する気あり)の邪魔になる
- うるさくて、自分(教師)の声が自分でも聞こえない
- もちろんしゃべっている学生はその間勉強できていない
- 日本語ではないので、日本なのに日本の気がしない(国で勉強してもいいのでは?)
- 授業が滞って今日のカリキュラムが終わらない
- というか、私の話聞こうよ
- 「先生かわいそう」という視線を送ってくれる学生が教室に1~2人はいて、申し訳ない
- というか、勉強しようよ。テストじゃなく、生活のために、さ。
- せめて全部日本語ならいいのに。母語じゃわからない(主にベトナム語)
はい、非常にイライラします。いや、しています。
日本語学校の授業!どんな時に教室が騒がしくなるか考えてみる
これがわかれば、先手をうてるかも!と考えてみました。
- 配布プリントをしはじめて7分後
- 授業終了7分前から
- 私が板書しながらだまっている時の数秒(できるだけ発話しながら書いてますが)
- 学生に板書させている間
- ……授業始まってからずっと
ん?
そう、クラスによってはね、授業始まってからずっとなの!
なんでそんな話すことある?と思うんですけど。
もちろん、「出席とってるから静かにしてください」という風に注意もします。
担任の先生に注意や話し合いもしてもらいますが……
日本語学校の授業、教師がにぎやかになるのはいつからか?
そういや、「いつ」というより「いつから」か。
静かな時期もあったはず。
そこで、思い起こしてみる。
クラスによってはちがうけれど……
- 初級「みんなの日本語」20課ぐらい~
- 初級「みんなの日本語」26課ぐらい~
- 初級「みんなの日本語」44課ぐらい~
- 初級「みんなの日本語」が終わって初中級に入ってから~
- 初中級に入って2週間後くらい~
- 受験が終わった頃~
- 卒業2カ月前くらい~
うーむ。
たぶん、静かな時に、いかにこのままの姿勢を維持させるか、もっと検討したほうがいいんだろうなぁ。
でも、私は非常勤講師だし、専任であったとしても全ての授業に入るわけでもないし、クラスコントロールはほんとに難しい。
日本語教師はエンターティナーになるべきなのか?
私なりに、いろいろ考えてみるわけです。
勉強のモチベーションまで、学生のことをみるのはなかなか大変だけれど、せっかく日本に来てくれたんだから、できるだけ楽しく勉強してほしい。
それに、しっかり勉強しておけば、基本的な日本語力は身につくはずなんだから、震災なんかがあった時も身を助ける。
そこでね、できるだけ学生の気をひこうと試みるわけです。
はるか
とか言ってね。
あ、これ、テストのカンニングがはびこりそうになった時もききます。
養成講座の時に、先生からこう言われたんです。
「教師はエンターティナーでなければなりません」
私、ユーモア全くないのにどないしよ。とか思ったものです。
でも、人って追い詰められると何でもしますね。
この前は、踊りました。
授業中、あまりにもざわざわして話を聞いてくれなかったので、軽くズンチャズンチャ踊ってみたら、すぐに静かになった。寝そうな学生の姿勢もよくなった。私は運動不足解消になるし、これからこれでいこうと思う。
— 嘉成晴香@新刊『HIMAWARI』🌻 (@kanariharuka) 2019年6月25日
いやー、もしうしろに見学の先生がいらっしゃったら無理ですよ(笑)
でも、これはききました。
ものの3秒でこっち見てくれました。
その後、10分はもちました。
10分?と思うでしょ。
じゅうぶんですよ。
10分あれば、いろいろなことが勉強できます。
でも、これきっと、あと数回したら飽きられてしまいますよね。
レパートリー増やすか、他の芸考えるか……。
そこで、思うわけです。
日本語教師はそこまでエンターティナーにならなければならないのか?
一応、エンターテイメントまではいかなくても、レアリアを工夫してみたり、下手なりに絵を描いたり、おもしろい例文準備したり、しています。
きちんと「日本語」を教えられる日本語学校で働くという選択肢
この前友人(日本語教師)に相談すると、
「日本語学校は、そこだけじゃないよ」
と言われました。
ま、わかってるんですけど。
でも、何かがひっかかる。
なんでだろう。
パスラさん
そう、たった2年。
しかも、2年まるまる携われる学生は、教員配置の都合で多くはありません。
もちろん、ちゃんとやる気があって、まじめな学生を教えたい気持ちはほんとにあります。
でも、その一番の理由が、「その方が楽だから」なんですよね。
普通は「もっと教師として成長したいから」だろうに、私は「まじめな学生=楽」だと今は考えてしまっています。
これって、ほんとにダメなことです。
そして、思うのです。
私は、私の置かれた場所で、本当に全力を尽くしたか?
学生が「おしゃべりしない時期」から「おしゃべりを始める時期」に以降する瞬間をいつも見逃し、対策を練らなかったからじゃないか?
そもそも、私の授業は、ちゃんと聞く学生は「楽しい・よくわかった」とか言ってくれるけれど、それは彼らの理解力に頼っているからではないか?
クラス全員一人一人によりそうことなんてできないけれど、結局は自分に魅力がないからじゃないか?
と、考えだしたら、置かれた場所でがんばるしかなく、何より……
私は、うちの学校の学生が大好きなのです。
いつか違う学校で教鞭をとることがあっても、現状をもっとよくできる知識や力をつけてからかなぁ。
あー、でも、クラスコントロールほんと大変。
嫌われているわけではないとは思うんですけどねぇ。
こちらも参考までに:
kanariharuka.com/japaneselanguageschool-cheat/
トップの写真は、学校の近くに咲いていたアガパンサス。
花言葉は、いろいろありますが、その一つは「知的な装い」
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