昨日はイースター。
キリスト教の「復活祭」です。
何が復活したかというと、クリスチャンである私達の神様、イエス・キリストが十字架にかけられ、死んで葬られ、3日後に蘇った……という「復活」なのです。
「イースター」は毎年、日が変わる
さて、イースターですが、毎年日が変わります。
「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」
とかいう、初めて聞くとなんかややこしいことになってますが、そう決まってます。
ってなことで、4月最初らへんになることもあれば、半ば過ぎになることもあるのです。
「イースター」の意味と十字架の意味
さきほども書きましたとおり、「イースター」はイエス・キリストの復活をお祝いする日。
なので、クリスチャンにとってはクリスマスと同じくらい、いやそれ以上にも大切な日なのです。
海外では、「イースター休暇」がある国もあるんだとか。
さて、「イースター」ですが、これは「十字架」に大きく関係します。
十字架というと、ノンクリスチャン(クリスチャンでない方々)にとっては「アクセサリーにあるなぁ」とかいうイメージかもしれませんが、十字架のほんとの使い道、ご存知でしょうか。
ずばり、処刑道具なのです。
貼り付けにされ、殺されるための。
なので、ネックレスとかピアスとか、世の中にはクロス(十字架)のモチーフのアクセサリーがあふれていますが、意味をもって付けなければ、ただの「処刑道具ぶらさげてるだけ」のおぞましい状態にしかなりかねません。
では、なぜアクセサリーに「十字架」があるのか。
私はイスラム教徒ではないのでよく知らないのですが、敬虔なムスリムは日に5回、メッカに向かって礼拝するそうです。
ずっと前に、ムスリムの友達にどうしてなのか聞いてみました。
すると、
「一日5回すれば、神様を忘れないでしょ」
ってなことを言っていました。
はるか
常に神様と対話できるということ。
おそらく、アクセサリーに十字架があるのは、身につけることで「十字架の意味」を忘れないため。
クリスチャンにとっての「十字架」は、処刑道具であり、それに私の罪のために貼り付けになって死んでくださったイエス・キリストに思いをはせるものなのです。
十字架を見た時、想像を絶する痛み、そして信じる私達の罪と共に死んでくださったイエス様のことを思い出すのです。
ものすごい昔の人が自分の罪のために死んだ?なんだそりゃ
とまぁ、一般的にはこう思うでしょう。
私もそう思っていましたし、今もこうして書いているものの、まだまだ消化しきれてないというか、もっとうまい表現がないものかと悩みます。
けれど、なんでしょうね。
うまく言えないんですが、頭で理解するものじゃないんですよね。
はるか
時間が経って、その時のことを思い出すと、また「あれ?」とか思ったこともありますが、ほんとに、頭でわかろうとすればするほどダメなんです。
なんとなく、恋愛に似ています。
恋に夢中になりすぎたこと、ありませんか。
恋をすると、ただその人だけだと思い、理解しようとするし、理解できなくても「わかりたい」という気持ちが前に前に出てきます。
その感覚と似ています。
私のボキャブラリーが足りないからか、これを他人に説明するのは難しいですが、そもそも信仰は人間ひとりひとりのものなので、話すことができなくても問題はありません。
ただ、「あぁ、これか」と気付きや、理解したという事実は、未来を照らしてくれます。
そして、よく「クリスチャンじゃないのに教会行ってもいいの?」と質問を受けますが、たとえクリスチャンホーム(家族がクリスチャン)で生まれたとしても、生まれた瞬間にクリスチャンの人なんていません。
私は、信仰は個人のものだと思っています。
ということで、誰かに何かを聞いてほしいとか、相談したちことがあれば、「社会勉強」みたいな気軽なノリで、教会へ行ってみてください。
変な教会でない限り、勧誘とかもないはずですし、お金とかもいりません。
教会で過ごすイースター
さて、クリスチャンはどうやってイースターを過ごすのか。
ちまたでは、イースターと言えば「うさぎ」とか「たまご」とかのイメージでしょうか。
どちらも多産を象徴するものだそうで。
クリスマスはちがいますが、イースターは毎年日曜日なので、クリスチャンは教会へ行きます。
礼拝では、牧師(プロテスタントは牧師、カトリックは神父、といいます)さんのメッセージ(お話・説教)で「復活」の意味について詳しく聞いたりします。
そして、子ども達はエッグハント(卵探しゲーム?)をしたり、パーティーをしたり。
大人も、持ちよりパーティーをしたり、ゲームをしたり(笑)
はるか
ビンゴゲームで、レトルトカレーが当たりました!(*´▽`*)
教会のみなさんとワイワイ言いながら過ごせ、とってもすてきなイースターとなりました。
ふふふ。
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