こんにちは。
児童文学作家の嘉成晴香(かなりはるか)です。
はるか
朝日学生新聞社さんから出版されました、こちらの3作です。
星空点呼:いじめられる側視点
セカイヲカエル:いじめる側視点
わたしのチョコレートフレンズ:傍観者側視点
ということで、「いじめを巡る3部作」となっております。
どうして「いじめを巡る」物語を書こうと思ったか
時々、質問いただくのです。
「どうして『いじめ』についての小説を書こうと思ったの?」と。
理由はいくつもあるのですが、その一つに、これがあります。
「共感したい」ということです。
もし、読んでくれた人が同じような状態だったり似た環境だったら、私の作品が「いっしょだよ」と伝えられたらいいな、と。
パスラさん
それに、励まされるのもわずらわしい時だってある。
そんな時、「近くにいると」と言わんばかりの作品であれたらと切に願います。
前までは、「元気になってもらえたら」と思っていましたが、今は、元気なんて出なくても、心に残るような、そんな作品になっていればと思います。
ひとりぼっちの経験から得たスキルが私を作家にした
私は子どもの頃、人間関係(友達関係?)に、悩まなかったことがなく、心の底にはいつもべっとりとした黒いものがたまっているような気持ちで学校に通っていました。
小学校から……でなく、思い返せば幼稚園の年少の時から、高校を卒業するまでずっとです(笑)
ずっといじめられていたわけではありませんでしたが、基本的にひとりぼっちの時が多かったです。
はるか
今なら、どうして自分がそうなっていたのか、少しは理解できますが、その頃はわかんなかった(笑)
だから余計に、解決策も見いだせずに辛かったです。
けれど、孤独のおかげで私は3つのことに長けるようになりました。
- 一人で過ごす方法を多くあみだす
- クラス内の人間関係の相関図を全て書けるほど人間関係を客観視できる
- 小さいことでも幸せを感じられる
一人で時間を過ごすための方法をたくさん知っています
まず、1ですが、ひとりぼっちだと休み時間など、特に孤独でした。
でも、そんなことを周りにアピールするなんてこともしたくないし、してもどうにもならないし、したらよけいに的になりかねないしで、ひたすら「何かをしている自分」を演じなければならないことが多々ありました。
誰のためか。何のためか。
パスラさん
ということで、休み時間、一人で過ごす方法の一例はこちら。
- 本を読む
- 絵を描く(でも見られてはならない)
- 授業のノートをきれいに書き直す
- ケシゴムの黒い部分をひたすら消して白くする
- かばん(ランドセル)の中を整理する
- トイレに長く入る
- 手をきれいに洗う
- 手を入念にふく
- セーラー服のスカーフをものすごくきれいに結び直す
- 教科書で予習をする
- シャーペンの芯を補充する
- 周りの人の声を聞いて人間関係の相関図を作り直す
- 文字を書く(でも見られてはならない)
ま、こんな感じで、これでひとりぼっちでなければものすごく「丁寧な人」(笑)
そう、最後の「文字を書く」とは、小説や詩のこと。
孤独が私を小説家にしたと言っても過言じゃないかもしれません。
特に人間観察における「人の気持ちを想像する力」は、一朝一夕で見に付くものでもないので、よかったかな。
クラスの人間関係を一番知っているのは教師ではない
そう、私。
はるか
クラスのことは、席に座って後ろから聞こえてくる声が聞けて初めてわかる。
でもね、これ、今から思えば小説を書くにあたってものすごく重要なスキルなんですよ。
物語って、自分に似た人ばかり登場させるわけにもいきませんからね。
どんな経験も、全てネタにできるってわけです。
田んぼの穂がゆれて奏でるサワサワとした音だけで、稲穂の匂いだけで「無事今日が終わった」と幸せになれる
子どもの時の一日は、夜12時になったらではなく、下校の時間になって学校を出た時刻に終わりました。
小学校の前には小さな田んぼがあり、秋になると重そうな稲穂が風に揺れていました。
この風はどこから来て、どこへ行くんだろう。
なんてことを、ほんとに考えてました。
きっと、海の向こうからやってきて、名前も知らない国の高い山に向かっているんだ。
今、私がついたため息も、この風に乗ってその高い山にぶつかるんだ。
そうしたら、私のため息なんて散り散りになっちゃって、消えるんだ。
その傍にはきっと、エーデルワイス(高い山に生えている花=この花、という子どものイメージです)なんかが咲いていて、「やーね」とか思われるんだ。
と、こうやって考えていると、自分の置かれている環境がほんとに狭くて、ちっぽけなものに思えたのです。
稲穂が揺れるだけで、希望が見いだせたんです。
時にはため息も涙も出ず、ただひたすらに大きな世界にいることを想像していました。
それだけで、幸せになれました。
「いじめを巡る3部作」各作品の紹介
それでは、3作の紹介をかんたんにご紹介します。
3作品は、主人公もお話もバラバラですが、舞台は私が生まれ育った和歌山県和歌山市狐島周辺です(*´▽`*)
『星空点呼』の主人公は3人(二十歳の青年・小学校5年生の女子と男子)
3部作全て、主人公は複数います。
中でもデビュー作のこの作品のトップバッターは、20歳の青年なので、児童書として読まれた方にはよくびっくりされます。
後々、その理由がわかってくるのですが。
この『星空点呼』は、第4回朝日学生新聞社児童文学賞を受賞し、その後3か月、「朝日小学生新聞」で3か月連載させていただきました。
はるか
3部作の中で一番私自身の経験を織り込んで書きました。
大きな事件は、ほとんどが実話なので、ときどき「ひどすぎる」と感想をいただくのですが、あれでも抑えた方です。
と、ここまで書くと「どんだけきついいじめ描写なんだ」と思われるかもしれませんが、3部作の中で一番ファンタジックな作品でもあるので、安心して楽しくお読みいただけると思います。
きっと、「これやってみたい!」と思っていただけることもあるんじゃないかと。
そして、私なりの「解決法」も書いています。
『セカイヲカエル』の主人公は6年生の男子2人
3部作の中で、一番男子率が高いです(笑)
主人公も、小6の男子2人。
2人はそれぞれの場所でそれぞれ悩み、成長し、また「気付く」ので、二つの物語を一つの本で読む感じになります。
パスラさん
3部作の中では、いじめる側視点。
書くのに一番時間がかかりました。
『わたしのチョコレートフレンズ』の主人公は小6の男女2人
3部作で1番書くのが難しかったのが、この作品。
なんせ「傍観者側」視点なので、何か事件を起こすのもなかなか難しく(笑)
ただ、書いていて一番楽しかったです。(前2作は、ほぼ泣きながら書いた)
特に、主人公の男の子、リンの性格が、私は大好きなんです。
パスラさん
ということで、どうしたら自分にとって大事な友達ができるかを追求しました。
3部作の中で、一番子どもの時の私に読んでもらいたい物語になったと思います。
『児童文芸』でもご紹介いただきました!
どうして主人公ごとに視点を変えるのか
この3部作以外の本でも、拙著は主人公によって視点が変わります。
(『夢見る横顔』だけは一視点ですが)
どうしてそうするのかも、よく聞かれるので、書いてみます。
- いろんな立場の人の気持ちを知るきっかけになる
- ものを多角的に見る練習になる
- 人が変わると読み進めやすい
こんな感じでしょうか。
主人公が二人いて、もし一人が気に入らないタイプでも、もう一人のページを読めば好きになれるかもしれません。
どうしても気に入らない場合、主人公の一人だけを読んでもある程度物語はわかるようになっています(笑)
ということで、読書が苦手だったり嫌いだったりする人に向けての私なりの工夫でもあります。
どの作品も、大人なら2時間かからず読めます。
私の作品は、「文体がけっこうかんたんシンプル」だとよく言われるので、読みやすい部類ではないかなと思います。
はるか
夏の読書感想文にも、ぜひ!!
最後に、新刊のご紹介をさせてください。
よろしくお願いいたします!
こちらも、夏にピッタリなお話です:
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