先日、近所のイオンに行くと、やたら試食が多くてびっくり。
そういえば、前はこれは普通だったな。
コロナ禍に入ってから、ぱったり見なくなった試食が、ようやく帰ってきたのです!!
そして家族とぶらぶらしていたら、たどり着いたのは、KALDIでした。
近所のKALDIでコーヒーの試飲が再開していてうれしかった話
あの小さいカップに、店員さんの笑顔と共にいれてくれる甘いコーヒー。
このコーヒー、亡き嘉成の祖父が、気に入ったものでした。
じっちゃん、こういう甘いコーヒー、好きだったんだよね。
亡くなる少し……まぁまぁ前に、母から「おじいちゃんがあのコーヒー気に入ったみたい」と聞いてから、飲む度にじっちゃんのことを思い出していました。
このことを耳にする前にも何度も試飲したことはあったけど、それからはもう、私の中でこのコーヒーは「じっちゃんのコーヒー」になっちゃってさ。
そのコーヒーの試飲の再開。
うれしくないはずがない。
祖父とコーヒーの話・カップまであたためてもてなしてくれた
コーヒーといえば、うちの両親も好きで、祖父もそれを知っていたので、祖父の家に遊びに行く度に、じっちゃんはいそいそといれてくれました。
おそらくその当時、お米さえといだことのなかった祖父。
だからこそ、ものすごく貴重なことが、両親も私もわかっていてさ。
祖父がずいぶんと年をとってからは、私や姉が手伝っていました。
手伝うと言っても、カップを出したり、やかんに水をいれたり、簡単なことだったけど。
「晴香、手伝ってきて」
母がそう言うから、最初はみんなが談話してるリビングを離れ、冬はとっても床が冷えるキッチンに行ってました。
そして、それが何回もつづくと、じっちゃんがいろいろと準備する様を見るのがなんだか楽しいというかうれしいというか、とにかく見ていたくて、母が言わずとも行くようになりました。
でも、今じっくり考えると、祖父はもしかしたら、私に手伝ってほしくなかったんじゃないかな、と。
私がどんくさいとかじゃなく、(いや、それもあるかもですが)
全部ひとりで準備して、私達をもてなしたかったんじゃないか、と。
でも、晩年は大きくなった私もそこそこは使えるようになったこともあり、助かったこともあったと思う。
でも、ほんとはやっぱり、ちがったんじゃないかな、と。
じっちゃんは、カップに熱湯を入れて、コーヒーを注ぐ前ににあたためてくれてさ。
コーヒーを粉からひいて、コーヒーができあがってからは、自分のカップには砂糖を二つ入れていました。
そして、クリープも。
コーヒーカップはマグカップとはちがうので、わりと小さくてさ。
砂糖二つでも、けっこう甘くなりました。
一度か二度だけ、祖父に「私のにも入れて」とお願いして、砂糖を二つ入れてもらったんです。
コーヒーじゃないけど、祖父が亡くなって数年後、私は甘い紅茶を体験することになる話はこちら:
エジプト人の性格!?2カ月半エジプトにいてわかったことカフェオレは何歳から飲んでました?うちの子はまだ苦手みたい
それはそうと、ブラックコーヒーとはいかなくとも、カフェオレって何歳から飲んでましたか?
私は……牛乳がほとんどのカフェオレを始めて飲んだのが4歳か5歳の時だった気がする。
両親が毎日コーヒーを飲んでいたので、コーヒーを飲めるってものすごく大人な気がしたんですよね。
初めて飲んだ時、牛乳たっぷりだったはずですが、「えっ、こんな味だったの?」と、正直あまりおいしく思えませんでした。
でも、飲める自分がなんかかっこいい気がして、ちょっと無理してたまに飲んでるうちに、「めちゃくちゃおいしいやーん」ってなりました。
うちの長男(8)は、カフェオレでもまだ苦手な様子。
ま、飲めたからって大人でも何でもないことは、私が一番わかってるつもり。
30代になってやっとこさ「大人って感じするー!」とか思っちゃう私ですから。
じっちゃんは、初めてコーヒーを飲んだのはいつだったんだろうなぁ。
大の甘党だったじっちゃん。
なのに最後まで糖尿の気はなかったんだとか。
わりと甘党の私。
どうかじっちゃんの遺伝子が色濃く受け継いでいることを祈ります……。
私も毎日コーヒーを飲みます。
じっちゃんの飲んでた甘いコーヒーじゃなく、無糖のカフェオレが多いかな。
きっとうちの息子達もいつか、「お父さん、お母さん、毎朝カフェオレ飲んでたな」とか、覚えてても覚えなくてもいいような、そんな小さい思い出として心に留めてくれるんでしょう。
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