こんにちは。
児童文学作家の嘉成晴香です。
私はクリスチャンなので毎週教会に通っているんですが、先日、牧師さんからある蝶の話を聞きました。
それは「オオカバマダラ」という名前のめずらしい蝶。
渡り鳥のように、大移動をするんだそうです。
私はふと、自分の人生と私の両親のこと、そして我が子のことを考えました。
今日はそんな話。
渡り蝶「オオカバマダラ」はカナダからメキシコまでの3800㎞を往復するそうです
「オオカバマダラ」と検索すると、たくさん出てくるので詳しいことはここには書きませんが、アメリカやカナダを中心に世界的に愛されている蝶々のようです。
色はオレンジで、黒色で縁取られた美しい羽根を持っています。
驚くべき生態は、まだまだ未知なる部分も多いそうですが、なんといっても「大移動」すること。
カナダやアメリカ北部で生まれたオオカバマダラは、秋ごろ出発し、南下していきます。
そして途中の森林などで冬を越し、メキシコあたりまでの約3800㎞を1代で飛んでいくんだとか。
ちなみに群れになって南下するそうで、1憶匹とかになることもあるんだとか。
冬を越すために木にみんなで止まるそうですが、その重みで枝が折れてしまうことも……。
それから、毒のある蝶なので、他の動物が食べると調子が悪くなるんだとか。
はるか
そして南下したオオカバマダラは子どもを生み、今度はその子どもがカナダに向けて北上するそうです。
けれど、1代目の蝶の寿命は8~9カ月とも言われていますが、2代目は短く数週間。
でもその短い期間も、北を目指します。
そしてその子ども……1代目からすると孫世代が、また北上し……この3代目も寿命は数か月なんだとか。
はるか
そう考えると、ほんとにすごいことですよね。
なんて小さな歩み。そして、なんて大きなチャレンジ。
渡り鳥は知ってましたが、渡り蝶がいたなんて。
パスラさん
牧師さんに「オオカバマダラ」の話を聞いた時、まだ行ったことのないアメリカ大陸を思い描きました。
たくさんの人と、そして動物に昆虫。
食べ物を求めてということだそうだけれど、どうしてこんな道をこの蝶は選んだんだろう。
だって、1代で行って帰るわけじゃないんだよ。
2代目以降なんて、もうDNAが覚えてるからっていう理由でしかない。
それに逆らわず、ひたすら危険をくぐりぬけて飛び続けるんだよ。
なんだか涙がにじみます。
渡り蝶「オオカバマダラ」の3代目や4代目に想いを馳せる
1代目だって、どうして「南下しなければならい」か、本当にわかって出発してるんだろうか?
でもきっと、「行かなきゃ」という気持ちになって、そうしなきゃ自分が自分でなくなる感じになってしまったんじゃないかな。
はるか
自分がどこから来て、どこへ向かっているのか、知らないまま生まれて死んでいくんです。
出発地もわからず、到達点を見ることもなく、ただリレーの途中の存在。
でもね、その3代目や4代目がいなきゃ、最後にたどり着けない場所があるのよね。
でも、だからって、じゃあ、3代目・4代目の人生は?
何も知らされず、それでよかったんでしょうか。
とか思ってるのは私だけで、ほんとは3代目・4代目は全てを理解して使命をもって飛んでいるんでしょうか。
南下する1代目は、群れになって飛ぶそうですが、北上する代はそうではないそうです。
より孤独やん……。
でも、神様に示されたことを、一途にやりとげているんよね。
人にはそれぞれ役割がありその意義はこの世を離れるまでわからないかもしれないけれど
人間はどうだろうか?
「オオカバマダラ」みたいに、体に刻まれた「約束」があるんだろうか?
本当はあると思います。でも、それに気付かない・気付こうとしていないだけで。
オオカバマダラの話を聞いてから、たまに思うんです。
はるか
最初かもしれないし、最後かもしれないし、途中かもしれない。
それさえも、わからないなぁ、と。
私の場合、生まれた時には親がいて、今は子どももいるのに、不思議。
(蝶は、生まれた時には親は傍にいないし、子どもには会えないでしょ)
なんにせよ、自分の能力がどうであれ、やらなきゃなんないことがある。
何もできなくても、その場にいるだけで何かをつなげることもある。
そう思います。
でもできることなら、牧師さんもおっしゃってましたが、できるだけたくさん飛んで、約束の地を見たいな、なんて。
できることなら、できるだけ遠くまで行って、子ども達はたどり着けるようにしてあげたいな、なんて。
親がいて子どもがいて、いつかもしかしたら孫がいてという大きな流れに自分がいるということ
自分と言う人間の中には自分しか入ってないので、なかなか客観的に自分を見ることは難しいですが、「オオカバマダラ」を調べてみて、ちょっと気が楽になったりもしました。
さっきは「できるだけ遠くへ」と書きましたが、もちろんそう思っているのも事実ではありますが、私一人で夢を叶えなくてもいいんだ、と。
がんばりすぎないで、楽しく体も心も健康であること。
実はこれがけっこう難しい。
私の父は図書館司書で長年「日系移民」について資料をまとめたり研究してきました。
残念ながらあまり日の目を見ることもなく、妻である母も子である私も歯がゆい思いをしたことも少なくありませんが、それでも私の中では、父が1代目です。
きっちり魂を、想いを南下して2代目の私に引き継いでくれています。
私は北上中で、父とは方向は違うけれど、父と同じように目的地に真摯に向かおうと思います。
そうすれば、私の子どももきっと、彼の「北上」をしてくれるんじゃないかと信じています。
この「代」は、何も血のつながりだけじゃないと思うんです。
大きなことを成せる1代目であっても、短命の2代目であっても、それを見た人が何らかの技術や感情、あり方をひきつぐことができれば、それは次の世代になるんじゃないかと。
いつか、オオカバマダラ、見てみたいな。
人類も、途方もなく大昔、アフリカから旅してきたっていうけど、まだその旅路は途中なんだろうね。
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人士なんて短いですけど、そういう大きな物語の中に生きていることを考えると、生きる意味がありますよね。
村上様
ほんとにそうですね。
刈り入れには間に合わないかもしれませんが、できるだけ多くの種をまいたり、見守ったりしたいなと思う今日この頃です。