こんにちは。
2020年1月10日から、青年海外協力隊員として短期派遣されておりました、嘉成晴香です。
はるか
コロナウイルスの影響で、3月18日に帰国いたしました。
ほんとはね、今日(6月10日)帰国予定だったのですよ。
何をしに隊員としてエジプトへ行ったのか!観光振興のための日本語教育
まず、私がエジプトへ何をしに行ったかというと……
それは、こちらをどうぞ:
私は日本語教師、つまり外国人に日本語を教える仕事をしに行ったのです。
これまで私は海外で教えたことはありませんでした。
なので、夢でもありました。
また、一生この仕事をしていくことを考えると、必要な経験でもあると思いました。
そして、自分の力を使ってくれるところを求めていました。
そんな志望動機で参加を決め、1月10日の中東がミサイルやらでちょっと荒れていた頃、ベルリン経由でエジプトへ。
首都カイロで研修やらを終えた後、1月20日にルクソール(カイロから飛行機で1時間)に飛び、1月末からはルクソール図書館で日本語を教え始めました。
生徒さんには日本語での観光ガイドを希望している方が多く、とてもやりがいがありました。
いろいろありました。
けれど、今となってはいい思い出です。
エジプトと言うと、砂漠の国。
暑い国だと思うでしょ?
渡航前に調べていたので、冬は日本と同じくらい冷えると聞いていましたが……
はるか
なにせ、家が日本のとはつくりがちがうので、隙間風が辛かった……
じーんと冷えるというか。
そんな中、せっせと授業の準備。
ネットが通じない心細さと、アラビア語全くわからない情けなさと、いろんな気持ちがいりまじって泣きながらやってました(笑)
はるか
と、どこか自分を客観視しながら、誰も見てないんだしと、思う存分泣きながら作業!作業!
(コロナウイルスの風評被害以外では、特別な何かがあって悲しい思いをしたというわけではありません。感極まってというか、なんというか)
けれど、幸運にも現地で出会ったエジプト人・日本人の友人のおかげで外ではほとんど泣かずにすみました。
今、言えることは、人気の5か月でなく2カ月半になってしまったけれど、参加してよかったです。
世界の広さと狭さ、考え方の多様さと難しさ。
いかに自分が守られてきて、守られているか。
そして今度は自分がそうすべき、そしてそうできるほど年をとっているということ。
現地で、日本で、私を支え、応援してくださった皆々様に、深く、深く、お礼申し上げます。
エジプトから帰国してからは2週間隔離生活後自宅へ帰りました
コロナウイルスがエジプトに入ってきて、私の生活は変わりました。
少し、エジプト生活に慣れてきた頃でした。
風評被害というか人種差別というか……
深呼吸をしてからでしか、自宅を出られなくなりました。
そうこうしているうちに、エジプトからの飛行機が減る、なくなる!?ということで、日本へ一時帰国が決まりました。
きちんと挨拶もなくエジプトの皆さんと別れることになってしまい……。
結局、「一時」でなく、完全なる帰国になってしまったわけですが、あの時は、「一時」になってほしいと祈ったものです。
協力隊の先輩方十数人と、アブダビ経由で無事に帰国。
そして2週間の隔離生活の後、私は大阪の自宅に帰ってきました。
子ども(その時4歳)は大喜び。
夫もホッとした様子でした。
エジプトから帰国して任期終了までにしたこと・2カ月経って変化したこと
エジプトから帰国後も、今日まではまだ「協力隊員」。
メッセンジャーでエジプトの生徒さんと連絡をとったり、教科書を作り直したり。
日本語教育隊員の先輩方とネット会議をしたり。
あとは、元の生活をしていました。
子どもの保育園が休園になったので、毎日家で大暴れする子どもにつきあって、正直エジプトにいる時の3倍はヘトヘトに(笑)
ちょうどカイロでの会議があった時に一時帰国が決まって、荷物をまとめるためにカイロからルクソールに戻り、カイロから日本へ。
ほんとにバタバタだったため、帰国後は放心状態。
無事に帰ってこられてよかったけれど、やり残したことが多すぎて、むしろ始まってないものも多く、不完全燃焼でため息しか出ませんでした。
仕方ない、仕方ないと思っていても、どうしようもなく。
帰国して2カ月以上経ち、今、ようやく心の整理がついてきています。
業務を最後までできなかったということもありますが、コロナの風評被害で人生で初めて迫害というものを受け、その傷もありました。
日本にいたらなかなか経験できないものでした。
どうぞ、私でなくとも、もしお近くにこうした風評被害にあわれた方がいらっしゃいましたら、その方には「いい経験になったね」とか「それも思い出になるよ」とか「創作のネタになるよ」とか言わないでね。
いじめられたばかりの人には、その言葉は響かないどころか刃になって突き刺さります。
エジプトに行ってわかったことはたくさんありますが、エジプトのことというより、世界には想像の何倍も、そしてきっと何十倍も「事情」や「多様性」があるんだということを実感しました。
どんな人にも、その人には生まれた場所がいて、育てた人がいて、環境があって、それが人をつくるということ。
こう考えると、何か対人関係で嫌なことがあってもなかなか発言できなくなってしまったのですが、今はそれでも「伝える」ことで互いの理解を得る方法を模索したいと考えています。
帰国は悔しいのと安堵と虚しさと
やっぱり、早く帰国しなきゃならなかったのはとても悔しいです。
でも、無事に帰れてよかったと、帰ってきてよりコロナが蔓延してから思うようになりました。
はるか
「でもでも」言い過ぎですが、どうしても「なんでやー」という虚しさはありますが、これからは前向きに人生を進めていきたいです。
エジプトとの出会い・エジプトでの出会い!
エジプトでしか出会えないエジプト。
なんか日本語変かもしれませんが、こんな表現がしっくりきます。
たくさんの遺跡や食べ物、人、熱気、笑いに涙に、一言でのべると「すごい」国でした(笑)
現地で、ご主人がエジプト人の日本人の方にも仲良くしていただき、ローカルな体験もできました!
エジプト、いいよ!
もうね、日本がいろんな意味で遠く感じる!
そして、人間ってすてき・すごい!と思える!
青年海外協力隊!いつかまた参加したい!
こうして、私の青年海外協力隊員として活動は終わったわけです。
参加する前は、夫も子どももいるし、行くなんて夢のまた夢でした。
志望動機とかの応募書類を書いてる時も、無理なんじゃないかと思いました。
けれど、期間は短くなっても一応行ってきました。
はるか
世界よ、早く、また笑顔で人々が交流できるようになれ!
青年海外協力隊、また参加したいです。
私はまた、あたら新しく夢を見ます!
トップの写真は、ルクソールのルクソール神殿。
ここから徒歩で行ける距離に住んでたんです。
なつかしいなぁ。
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