私は10歳の時、うちの本棚で見つけた新約聖書を読んだときから、クリスチャンです。
(家がそうだったとかじゃありません)
読むものがなくて、暇で暇でしかたなかったんですよ。
パスラさん
17歳の時、日曜学校へ行っているという人と友達になり、初めて教会(プロテスタント)へ行き、紆余曲折あって24歳のときに洗礼を受けました。結婚して2週間後のクリスマスのことです。
よく「毎週日曜日に教会行くなんて大変だね」とか言われますが、クリスチャンにとって教会の礼拝は義務でなく権利。
感覚でいうと、デートに似ています。
キリスト教のお葬式「召天式」「前夜式」とは
さて、話は戻しますが、お世話になっている教会の方のご主人が、9日の早朝に亡くなられ、昨夜、前夜式が行われました。
前夜式とは、つまるところ「お通夜」です。
そして、召天式とはキリスト教式の「お葬式」。
一般的に教会に行われるお葬式は、故人を知らなくとも教会にいつも集っている人は参列できます。
というわけで、私はそのご主人とはお会いしたことはなかったのですが、家族3人で行ってきました。
私と夫は喪服。
3歳の坊は保育園の制服(半分体操服みたいな感じですが)。くつは黒いのがなかったのでいつものシューズ。
靴下だけは黒いのがあったので、それにしました。
召天式は、天国へ故人を送り出すための式なので、菊とかでなく、色鮮やかな花々で飾られます。
これは、もちろん好みの問題で、白一色ってことも。
なんにしろ、もし結婚式でも問題ないような雰囲気。
最後には、天国をイメージしたかわいい花々をみんなで棺に入れます。
キリスト教のお葬式「召天式」「前夜式」は何が行われるか
おそらくどこの教会もいっしょだと思うんですが、教会で「式」とつくものは、礼拝と形式がいっしょです。
つまり、結婚式も召天式も同じように進んでいきます。
召天式には出たことがなくとも、キリスト教式の結婚式に出たことがある人は多いでしょう。
賛美歌、歌いますよね。
有名なのは、「いつくしみふかき」かな。
♪いーつくしみふかーき とーもなるイエスはー
ってやつ。
これ、お葬式のときも歌います。
結婚式の時も、3曲ぐらいは歌うところが多いとは思いますが、召天式もそう。
曲ははっきり決まっているわけでなく、故人やその家族の慰めになるような、天国での再会を期待できるような、そんな賛美歌を牧師さんが選んでくれます。
お祈り、賛美(賛美歌を歌うことを、こう言う)、聖書朗読、賛美、聖書朗読、賛美、お祈り
って感じの流れです。
「聖書朗読」ってときに、牧師からのメッセージもあります。
召天式も前夜式も、だいたい同じ。
こちらは、昨夜の前夜式で歌ったわけではありませんが、去年行った前夜式で歌った賛美。
In Christ Alone
いろんな方がカバーしていますが、今回は私の好きなOwl Cityさん。
召天式で考える人間の一番の問題は死ぬということ
故人と奥様は、結婚してちょうど50年だとか。
50年と聞いて、その長さと深さに想いを馳せました。
うちはまだ8年。
50年連れ添うということ、どんな感じなんだろう。
私も、一日一日丁寧に生きれば、夫との絆をもっと強いものにできるかな。
牧師先生が、「人間の一番の問題は死ぬということ」といったような話をされていました。
あぁ、そうだなぁと思いました。
哀しみに暮れることも、喜びに満たされるのも、生きているからこそのもの。
私はたくさんの問題が重なって辛かったとき、「いっそ死んでしまえたらいいのに」と思ったことがありましたが、思えば何て浅はかだったんだろうと。
一番の問題が「死ぬこと」なら、それよりは軽い問題が辛いくらいで、もっと大きな問題を起こそうとしていたのです。
おそらく、死んだことがないので「死んだら楽になれるのでは」という何の根拠もない想像からきていたんだと思います。
そして、もう一つ忘れてはならないのは、人は神様の決断一つで一瞬後にでも死ぬということ。
明日にでも、死ぬ可能性があるということ。
いつまでも長生きできるような気がしているから、おごってしまう。
召天式で考える人間の2番目の問題・悲しみは
さて、ここからは私の意見です。聖書に書いてるとかそういうんじゃありません。
人間にとっての一番の問題が「死」なのだとしたら、2番目は何でしょう。
私は、愛する人をなくすことだと思います。
でも、人はその「哀しみ」をもつために生きているような気もします。
なぜなら、「最愛」をもつということは、並大抵なことではないと思うからです。
ただ自然に、好きになって、時間と共に大好きになって……となればいいんですが、その後はどうでしょう。
だんだんと粗が見えてきたり、自分のコンディションとかみ合わないばかりに避けてしまったりすることもあるかもしれません。
私は、「最愛の人」は探したり見つけたりするんじゃなく、築くことだと思います。
よく結婚式のとき、聖書の「愛」の箇所が朗読されます。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
(コリント人への手紙I 13:4〜8)
私も結婚式で誓いましたが、全くできていません(笑)
なんかこの箇所、最初読んだ時、「愛って大変やな」とか思いましたが、これらは相手のためだけでなく、自分を強くする方法だと、今は理解しています。
愛をもって生きていきたいな。
最近いろいろあって自分のことばかり愛している気がするけれど、こんなときこそもっと周りを見渡さなきゃなぁ。
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