こんにちは。
日本語教師をしています、嘉成晴香(かなりはるか)です。
日本語教師を始めて、早いもので7年が経ちました。
ベテランなんて決して言えませんが、新米は脱し、中堅に入ったかなと思います。
はい、「してしまいがちなこと」とかタイトルで書きましたが、新米の時してしまっていたことを書きます(笑)
はるか
これを読んだ新米の先生の役に少しでも立てればいいんですが。
◇新米日本語教師が授業でしてしまいがちな失敗
目次
▶一字一句授業での発話・予想される学生の反応を教案に書く
▶授業中に教案とにらめっこしすぎて学生の表情を把握できない
▶文法の説明の時などの最後に語尾が小さくなる・消える
▶例文を学生の生活に適したもので考えられない
一字一句授業での発話・予想される学生の反応を教案に書く
あなたの教案、舞台の脚本になっていませんか?
いや、それを否定したいわけじゃないんですが、ものすごく書くのに時間がかかりますよね。
おそらく、一字一句書く先生はパソコンで教案書かれていると思うんですが、できあがったらそれをプリントアウトして……となると思いますが、それもけっこうな手間。
そして、教案には教師の発話はもちろん、予想される学生の反応も書くと思うんですが、なかなかこれがそのとおりにいかないことが多いですよね。
一番多いのは、学生がわからなくて黙ってしまうこと。
ここで、一字一句書いた教案は止まってしまいます。
「黙った場合は、〇〇して助け舟を出す」とか「違う例文を促す」など、書いていない場合ですが。
「【日本語教師になって7年】中堅教師も日々気を付けたいこと4つ」でも書いた(3つ目の項目)のですが、できるだけ教案に頼りすぎない授業をしていきたいものです。
いや、教案は大事なのですが、あくまでも教案は「案」であって「覚書」であることを忘れては、脚本を演じるアクター・アクトレスになりかねません。
と言っても、私は養成講座時代に「教師はエンターティナーでないといけない」と教わりました。
今ならよくわかります。
学生に日本語を教えるのも大変ではありますが、学生のモチベーションを上げるのはもっと大変( ゚Д゚)
せっかく日本へ、そして学校へ来たのに、一日学校で寝ていて何も覚えないで帰る……こんなもったいないことありません。
なるべく、学生に合わせた楽しい授業をあどりぶ入れながらしていきたいです。
はるか
授業中に教案とにらめっこしすぎて学生の表情を把握できない
これ、私は新米の時、なるべくしないように気を付けたことなんです。
パスラさん
お風呂でもトイレでもブツブツ言いながらイメージトレーニング。
だって、教案見てる時って学生の顔が見られない。
その間、学生はポカーンとなり、教室はシーンとなります。(もしくは、ザワザワ)
それをできるだけ避けるために、前日は夢の中でもイメージトレーニング。
これ、ほんとにいいんです。
教案を見なくてよくなる以上に、アドリブがきくようになります。
難点というか利点というか、イメージトレーニングしていると、もっといい例文がいくつも出てきたりするんです。
それが、アドリブの準備になっているんだと思います。
もし一字一句を書いた教案を用意していたら、途中で「どこまで進んだっけ?」とか思いません?
はるか
私はだいたい、B6のノートの1ページで2コマ分の授業をおさめます。そう、もうほとんど「板書する」ことだけです。
文法の説明の時などの最後に語尾が小さくなる・消える
自信がないと、人は声が小さくなったり、語尾があやふやになったりします。
日本語教師になってこう思った先生は、私だけではないでしょう。
はるか
特に説明するのって、かんたんな日本語で解説するのって、ほんとに大変。
「ほんとにこの説明でいいのかな?」
とか思うことも、新米の時は多々あります。
もう、どうしてもわからなければ、「先生の宿題にします」と言って教室をあとにするしかない……。
けれど、学生は「先生は日本語のことなら何でも知ってる!」と思っています(/_;)
なので、不安げに授業すると学生の顔がくもります。
なるべく、語尾まで自信もって話せるように、勉強しておきたいものです。
例文を学生の生活に適したもので考えられない
時々、養成講座修了すぐの先生の授業で、「なんでその例文やねん!」とツッコミたくなるようなのを見ます。
学生さんは、一応聞いているんですが、その文法で会話練習には結びにつきにくいという。
できるだけ、学生が日常生活で使えるような例文が好ましいです。
はるか
というわけで、できるだけ学生の情報は頭に入れておくようにします。
授業中の学生の会話はもちろん、休憩時間の会話、授業の報告メールや、事務室で聞いた他の先生方の話まで。
私は日付まではうろ覚えでも、学生の誕生月や趣味なんかは忘れないようにしています。
はるか
中級・上級になると、日常会話ばかりもやってられないので、学生の将来像をイメージしたものから考えています。
(将来の夢・目指す分野を先に聞いておく)
◇おわりに
「新米日本語教師」とか書きましたが、今でも気を抜くと、こんな風になってしまいます。
ある程度、習うより慣れろだと思うので、教案はてびきに従ってやっていいと思います。
どうしても、オリジナリティとか出したいなと思ってしまいがちですが、それよりも大事なのは学生の反応を見て応えていくことだと思うのです
そのためには、心と体の余裕が必要。
はるか
教えてくださる先生が周りにいるのなら、どんどん聞いて、「すでにある教案」でいかに熱い授業ができるかも、大切なことだと思います。
慣れてきたら、どんどん自分流に変えていく!
この授業準備が大変すぎて、体がもたなくて日本語学校でなく「日本語教師」自体をやめてしまう先生、何人も見てきました。
いかに楽して力を出すか、それがまずは「つづける」秘訣かと思います。
どんなに準備しても、学生にとってはわからないものなので、語学ですし、いい意味で楽しく元気に授業したいものですよね。
写真は、中国人とベトナム人のいるクラスでの板書の一部。
もう、ほんとにみんなぐったりしていたので、そんな時は国の言葉を聞いて、私が生徒になります。
すると、みんなして私の発音を直そうとします。
そして、「外国語を学ぶのって難しい。でも楽しい」っていう感想を最後に述べます。
この頃には学生の目はもうパッチリ。4分くらいは使いますが、全ての学生の視線を集めるには今のところ一番いい方法なので、たまにします。
学生のカンニング対策は、こちらから(/_;)
⇒「日本語学校の留学生のカンニング事情と対策」
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