こんにちは。
児童文学作家の嘉成晴香です。
母方の祖母が亡くなって、1年半経とうとしています。
私にとって、「おばあちゃん」と言えば母方の祖母のことでした。
はるか
小さい頃から盆と正月にはいとこ達と祖母宅に集まり、同じ和歌山市内に住んでいましたが、2泊とか泊めてもらっていました。
子どもの時は何にも考えていませんでしたが、大人になった今、孫4人を泊めることがどれだけ大変なことか、想像するだけで意識が飛びそうです……(笑)
同じ町に住んでいるということもあってか「いつでも会える」と思って、中学校に入る頃には年に2度くらいしか会いに行かなくなり、今さらながら、もっと話をしに行けばよかったなと思います。
決しておばあちゃん子ではなく、どちらかというと他人行儀?のような孫だった私。
別に嫌いだとかそういうのでなく、ある程度大きくなってからは、どう接すればいいか、どうしたらいいかわからなくなっていたんです。
ただ、思い返せばよくしてもらったなと思います。
今日はそんな中の「おばあちゃんのご飯」の思い出を書いてみます。
おばあちゃんちの昼ご飯!正月は手巻き寿司・それ以外はおにぎり&卵焼き
だいたいは、おばあちゃんちには昼から行ってました。
その頃の実家から、祖母の家は車で30分ほどのところにあり、家族そろって出かけたいい思い出です。
お正月なら、お昼ごはんは手巻き寿司!!
祖母宅に着くと、酢飯の匂いが出迎えくれ、中に入るとたらい?2つに酢飯がもりもりとありました。
普段使わない大きな座卓をお父さんたちが広げ、そこへ大判の手巻き寿司用の海苔が置かれ、おさしみや錦糸卵、キュウリなんかの野菜や納豆、お節料理なんかが運び込まれます。
ある程度整ったら、お酒を飲まない人達のためのおすましが配られ、それからは大宴会。
はるか
祖父は晩年、「こうやってみんな集まってくれるのが何より嬉しい」といったことを何度もつぶやいていました。
そうだ、そうだ、忘れてた。
宴会が始まる前には、決まって集合写真を撮りました。
うちの父が三脚をセットし、いとこ家族と祖父母とうちの家族で、10人。
年によっては、いとこのいとこさんが来たり、うちの父方の祖父母が来たりして、それ以上になることも。
最後の方は、いとこの奥さんや子ども達、私の夫なんかも参加していました。
すごいのは、撮り始めてから30年、一度も10人は誰一人欠けることなく年に一度の記念写真に写れたことです。
パスラさん
さて、この手巻き寿司パーティー。
最後の方はお寿司をうちの両親がお寿司屋さんにオーダーして持参してました。
手巻き寿司って、大勢の分を用意するの、ものすごく大変なんですよね。
そして、お正月でなくおばあちゃんちに泊まる時は、お昼ごはんは
- おにぎり
- 卵焼き
- 野菜やウインナー
のことが多かったです。
子どもが大好きなメニュー。
祖母宅に着くと、形も大きさも均一なおにぎりがずらりと大皿に並んでいて、いつもワクワクしました。
適切な塩加減、そして圧力で握られたそれは、周りが少しかためで中はやわらかく、アツアツ。
何回か作るのを手伝ったことがありますが、同じものをいくつも作ることの難しさったら。
そして、なんでこんな炊き立てで熱いのに、ひょいひょいとにぎれるの~?って感じでした。
卵焼きと言えば、うちはお弁当のおかずのイメージで、食卓に出ることはほとんどなかったので、私はおばあちゃんが出してくれる卵焼きがとっても好きでした。
おにぎりと卵焼きを交互に食べる幸せったら。
おばあちゃんちの晩ご飯!何回かに分けての焼き肉やすき焼き・おなべ
晩ごはんは、なにせ人数が多いので、プレート料理でもみんないっしょに食べるのは難しく、
第一陣、第二陣と分かれて食べてました。
いつも私達子どもを第一陣にしてくれ、いとこ達と競争するかのように食べました。
はるか
たいてい祖父が最後にテーブルにつき、それまではテレビを見て待っていました。
ご飯食べ競争をリタイアした私は、祖父の座るソファの隣に行き、特別話すこともないけれど、広いダイニングルームに二人しているのが好きでした。
「みんなのおじいちゃん」でなく「私だけのおじいちゃん」って感じがしたからかもしれません。
今思えばってだけで、その時は「おじいちゃん大好き!」みたいな雰囲気ではありませんでしたが、とにかく居心地がよかったし、落ち着けたんです。
おばあちゃんちのおやつ!片手で持つと疲れてくるほどのおはぎ&シャトレーゼのシュークリーム
おばあちゃんちのおやつと言えば、印象深いのは「おはぎ」です。
いくつものお重に、一つ食べたらお腹いっぱいになりそうなほど大きなはぎが並べられてました。
ほんとに小さい時は、片手で持っていたら手首が疲れるほど(笑)
大好きで、お腹いっぱいなのに2つは食べてましたね。
母も学生の時に、寮に帰る時にこのおはぎのお重を持たせてもらい、片道何時間もかかるのに重い思いをして持っていったそうです。
でも、ルームメイトや隣室の友人達に好評で、「また食べたい」と言ってもらい、学生中は何度も祖母のおはぎを運んだとか。
私が中学生の頃になると、祖母はもう作らなくなりましたが、私にとって祖母のおやつと言えばこれなんです。
それから、祖母宅で食べたおやつと言えば、うちから持っていった「シャトレーゼのシュークリーム」です。
祖父が大の甘党で、シュークリームが大好き。
晩年も、2つはペロッと食べてました。
ということで、一度にたくさん買って持っていってました。
お正月だと、予約もしてたんじゃないかな。
うちはシャトレーゼのファンなので、ずっとポイントためていて、何年かに一回、シャトレーゼのホテルにご招待してもらってます!
また行きたいなぁ。
おばあちゃんちの朝ご飯!祖父はいつもジャムパン&ホットミルク
おばあちゃんちでは、いつも夜更かししていたので、朝はゆっくりでした。
祖父が夜中の2時に寝て、朝10時に起きるという、ある意味規則正しい生活をしていたので、それに倣ったのです。
いや、うそです。
私達は、ただの夜更かし・朝寝坊です。
前夜はたいてい、みんなでトランプの大貧民(「大富豪」のこと)やセブンブリッジをしていて、つい寝るのが遅くなったのよね。
ということで、朝ご飯はあっさり。
というか、あんまり食べた記憶がなく、そのまま昼ご飯になってたような(笑)
ただ、祖父の朝ご飯はしっかり覚えています。
だいたいが、
- ジャムパン
- アンパン
- クリームパン
といった、中に甘い何かが入った系の菓子パン。
祖父はしきりに私にすすめてくれましたが、たまにアンパンは食べましたがその他は苦手だったので、はははと笑いながら私はその場を去ってました(笑)
あと、この菓子パンとセットで、祖父はホットミルクを飲んでました。
レンジでチンした牛乳ね。
朝、ジャムパンとホットミルクを食べながらニュースを真剣な顔で見ている祖父がいる。
これが、祖母宅での日常でした。
おばあちゃんちのお土産!家庭菜園の野菜や果物
祖父は、家の近所と少し離れた場所の親せき宅の庭で家庭菜園をしていました。
- きゅうり
- なすび
- ししとう
- じゃがいも
- さつまいも
- ネギ
- えだまめ
- ミニトマト
- いちご
- 柿
- みかん
などなど、他にもたくさんのものを育てていて、行く度に「ちょっと待ってて」と言ってとってきてくれました。
自営業をしていた祖父。引退後から家庭菜園を始め、いろいろと研究し、機材をつぎこみ、柵なんかも手作りし、とにかく丁寧にやっていたので、作物はとてもおいしかったです。
おそらく祖母は、うちの母と叔母を、いわゆるワンオペで育て、祖父は昔の人ということで日常的な子育てはあんまりしなかったようですが、
定年後、育てた作物で孫たちのお腹を目一杯満たしてくれたのでした。
祖父も祖母も、もういません。
生きてる時は、ずっと生きてると思ってたのにな。
とりたてて感謝もせず、それを伝えずにきてしまったことをとても後悔しています。
ただ、思い起こせば、何も引き継いでいないわけではありません。
「〇〇は〇〇だ」みたいに、はっきりと伝えてもらわなくても、ちゃんと受け取ったものがあります。
悔やんでもしかたないので、これからの世代に何を残せるか、考えたいな。
祖母から受け継いだ指輪についてはこちら:
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