こんにちは。
嘉成です。
タイトル、「の」が多いな。
ま、いっか。ジブリのタイトルも多いし。
さて、今日は私の信仰生活の話。
キリスト教ってうさんくさそう?怖そう?排他的?
はるか
でも、大人になったらわかるんですが、人ってよく知りもしないことを、なんとなくでそう思ったりもします。
例えば、何億人も人口がいる中国の人のことを、ちょっとマナーの悪い中国人見かけただけで「中国人って〇〇」って言いきったりさ。
確かに、感じることは自由なんですけど、その先入観が自分を「楽しい」とか「癒し」から遠ざけてること、あると思うんです。
それって、もったいない。
もちろん、ある程度知ってトラウマになるような経験をされた方もいらっしゃるでしょうから、何も勧誘しようとかはこれっぽっちも思っていません。
ただ、信じる者がちがえど、痛みを分かち合える関係でいられることはほんとに尊いことです。
なぜ9歳までキリスト教を怖そうと思っていたか?10歳で神様に出会ったから
私が神様と出会ったのはこんな感じ↓
- 読書家の私(10歳)、読む本がなくて暇になる。
- 親の本棚を眺める。
- 高い位置に何やら見つける。
- 手を伸ばす。
- それが新約聖書だった。(母が結婚前に路上でもらったもの)
- しばらく眺める。
- ペラペラめくる。
- げっ、めっちゃ細かい!
- でも暇やしな。
- 最初から読み始める。 ←ここ、自分でも勇者だと思う!
- えっ、聖書ってイエスって人の伝記なん?(知らんかった)
- カタカナの名前ものすっごい出てきてわからん。
- でも読み続ける。
- マタイの福音書って箇所の「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます」に感激する。
- この時、ふっと体が軽くなるような感覚を覚える。
- 頭の中のモヤが晴れたような、そんな気分になる。
- テサロニケ人への第一の手紙って箇所の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」に疑問をもつ。無理ですわ。
- でも、「やってやんでー!」って思って学校生活で実践。
- 人間関係は良好に……向かわないのに、明らかに周りからの目が変わる。ちょっと変な人にも思われる。
- 2カ月後には、心の内を話せる友達ができる。
- 大親友ができる。
- この間、毎日聖書を読んで、その通りに実践。
- 自分が神様に出会っていたことに気付く。
- 同時に、心をかたくなにしていたことにも気付く。
お金かかるんじゃないかとか。
でも、もう自分がイエス様のファンであることにウソはつけなかったし、まぁ信じるのは自由やしな、と。
信仰をもつって具体的にどんな感じかを説明するのは困難
神様と出会うって、信仰をもつって、どんな感じ?とたまに聞かれますが、うーん……
はるか
はるか
はるか
って感じです。
すみません、これでも執筆業してるはずなのに、語彙力なくて。
口ではなかなか表せないというか、人によってちがうものなんです。
ただ、もっと具体的にするとしたら、「すとんと納得できる」とか「パッと目の前が明るくなる」とか「自分の中の何かが、誰かが(いい意味で)泣いている」感じかな。
私がキリスト教会へ行こうと思った理由は「聖書を知りたかったから」
そして私は、10歳から聖書を読み始め、初めて教会へ行く17歳までずっと信仰を保ちます。(あがってはなかった)
あんなに「イエス様は好きやけど、教会とかはちょっと……」とか思ってたのに、どうして行こうと思ったか?
それは、聖書のこと、意味をもっと知りたかったから。
はるか
聖書読んでること、親も知らなかったと思う。
知りたいという欲求は、なんとまぁ、「胡散臭い・怖い」って感情を飛ばし去りました。
とか言いながら、初めて教会行って賛美歌(プロテスタントなんで、けっこうなアップテンポな曲)を聞き、
はるか
と思ったのは、秘密。
あ、このブログ、教会の方々も見てるんやったわー。まぁええけど。
ま、なんせまだ17歳やったしね。(ってことにしといて)
でも、7年ひとりぼっちの子羊だった私ですが、それからは祈り合える仲間と出会え、聖書の神様の言葉(御言葉:「みことば」と言います)を学ぶことで、これまで疑問に思っていたことがよくわかるようになりました。
当時、まだインターネットも今みたいにじゃんじゃん使える環境でもなかったんです。
聖書ってね、何気に専門用語多いし時代的背景とか知らないとさっぱりなことも多いのよー。
ちなみに初めて教会へ行ったきっかけは、高校の時に友達になった子が、教会の日曜学校に行ってた子で、連れてってもらいました。
洗礼(バプテスマと言います)は24歳のクリスマスに受けました
そんでもって、いろいろあって、洗礼を受けたのは24歳のクリスマスの日。
その15日前が結婚式という日でした。
「洗礼名(クリスチャンネーム)とかないの?」
とかよく聞かれますが、プロテスタントなのでありません。
洗礼にはいろんなスタイルがあり、カトリックなんかだと少しの水を頭にパシャっとかけることもあるそうですが、私がお世話になった教会では、お風呂みたいなところにお湯を入れ、そこに後頭部からドボーンと浸かります。
大丈夫、タイミング教えてくれるので、鼻で息できます。
はるか
さて、洗礼を受ける前と後とではどう変わったか?
それも人によるとは思うんですが、私は変化しましたね。
一日で、変身するように変わるわけじゃないんですけどね。
大事なのは、洗礼を受けたことを忘れずに過ごすことかなとも思います。
どんな風に変わったかというと、湿布が効くように、ジワジワって感じですかね。(私の場合)
まぁでも、見えるものが全てではないんですが、私は私らしく生きられるようになり、私が神様からもらった才能を発揮できるようになりました。
日本語教師って夢も、作家って夢も、親になるって夢も、クリスチャンとして生きていくと覚悟しなければ成せなかったことかなと思います。
(もちろん、夢はかなえると「日常」になるので、キラキラしたことばかりでは全くありません)
私の子どもにも神様と出会ってほしいけれどそれは私が決めることではない
いろんなことにタイミングがあり、計画できるものとそうできないものがありますよね。
私は何度も何度も「クリスチャンじゃなかったら死んでたな」と思いながら生きてきたので、できれば我が子にも出会ってほしい。
でも、それを決めるのは人間には無理。
今、私にできるのは、聖書にある「神様の知恵」をかみくだいて伝えることだなぁと思います。
そういや、先日こんなこと聞かれました:
日本人のクリスチャン人口は0.1%以下だとか言われていますから、なかなかクリスチャンの生活がどんな感じかわかんないですよね。
それを垣間見れる漫画があります。
これ。
何がいいって、主人公の「教会以外の生活」が主で、教会のことはほとんど描かれていないんです。
自分と向き合い、神様を見上げる姿勢に心打たれます。
今回のテーマ、話すと手が腱鞘炎になりそうなくらいあるので、今回はこのへんで。
他にもクリスチャンについて、教会についての記事がありますので、よろしければ以下も見ていってくださいーい!
日本の0.1%ぐらいしか知らない世界、ですよ!?(笑)
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