こんばんは、嘉成です。
「り」って、カタカナでもほぼ同じだから、3歳か4歳の時、「ラッキー」とか思ったのを覚えています。
「リサとガスパール」が大好きです!
「リサとガスパール」シリーズが、大好きです。
最初、うさぎかな?と思ってたんですけど、この二人(とその家族)、フランス人だそうですね。
数年前まで、クリスマスの時期には大阪・梅田の阪急百貨店のショーウインドーが、毎年この「リサとガスパール」のクリスマスバージョンで彩られていて、これを見るためだけに梅田に行きました。
あんまりキャラクターものは好きじゃないんですが、リサとガスパールは、ほんとに好き。
クスッと笑える癒しが、ほんと尊いです……。
「理解」は難しいけれど「理解のために心を震わす」ことはできる
ちゃんと話を聞けば、読めば、知ろうとすれば、なんでも理解できると思ったことが、子ども時代にありました。
でも、これがなかなか難しいと気付いたのが二十歳前後。
わかっているのと、わかったつもりと、わかったふりでは大きくちがいますよね。
キャパが大きいふりをしても、寛容だと自分に言い聞かせても、やっぱり頭では理解できても心までストンと落ちてくれるものは少ない。
でも、それって当たり前だと気付いた二十歳半ば。
人は生まれてすぐに周りに影響を受けて育ちますから、大なり小なり偏る。
それが、「自分」になっていく。自分ってものがないわけない。
ただこれからも、よくわかんなかったり、「えー!」ってことがあっても、理解しようと心を震わせることが大事かな、と最近思います。
あぁでもない、こうでもないって、心をプルプルさせること。
これ、最大のインプットだなぁと思います。
「リセット」はできないということは悪いことじゃない
子どもの頃、進研ゼミをやってまして、小学講座はことあるごとに、計算ゲームみたいなのとか、漢字を覚えるための小さなマシンが送られてきました。
いわゆる普通の「ゲーム」を持ってなかった私は、それがうれしくて、うれしくて、勉強ではなくほんとのゲームみたいによく遊んでいました。
そして、ある時、気がつきました。
それは、ゲーム機の後ろの穴。
のぞくと、底が赤かったり黒かったり。
調べたところ、これは「リセットボタン」というらしい。
押せばどうなるか、わかっていました。
でも、どうしてもどうしても押してみたくて、でも先のことをちゃんと考えていた私は、次に送られてきたゲーム機的なものを少し攻略した後、リセットボタンを押してみました。
ま、当たり前ですが、初期設定に戻るわけです。
これまでのデータも、きれいさっぱり消えるわけです。
私は、知っていたはずなのに、どうしてか悲しくなりました。
押したくて押したのに。
でも、その一週間後には、ゲームが思わしくない成績やルートに行く度に、リセットボタンを押していました。
そうして私のゲーム機には、最初から完璧に進めてきたようなデータが蓄積されていったのです。
私はうれしくて、うれしくて、なぜか得意げでした。
ですが、いつしかこれに慣れたらだめだ、と思うようになりました。
やってしまったことは、やってしまったこと。
芳しくないデータでも、それはそれで、いいじゃないか。
リセットできなくても、私は私のままだ、ということに気がつきました。
今も何かの「リセットボタン」を見る度に、こんなことを考えていた小学校高学年くらいの時代を思い出します。
なんてないことなんですけどね。
でも、このなんてないことがたくさん積み重なって、リセットしたこともしなかったことも含めて今の私なんですよね。
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