こんばんは。
嘉成晴香です。
それでは、今週は「た」、いってみましょう!
「楽しみ」を待つじゃなく「楽しむ」ことを選ぶということ
子どもの頃は、ただ待っていました。
何がって、楽しいことを。
誰かがプレゼントをくれるのを待ってる感じ。
でも、そもそもプレゼントって、誕生日とか特別な時しかもらえない。
つまり、頻度はかなり低い。
でも、やっぱり楽しいことは毎日でもほしい。
そんな時、聖書の言葉で「選ぶ」ということを知りました。
11歳ぐらいの時です。
楽しむということを、選んでいく、ということ。
ほんとは何の努力もしないで、何の決断もしないで楽しいことがやってきてくれたらなぁ、なんて思ってましたが、そんなこと考えたところでどうにもならないことに気付いた私は、
楽しくない時も、「楽しむ」「楽しめる」ように気持ちを向けていくよう努力するようになりました。
これがね、なかなか大変でね。
ひとりぼっちで悲しいときなんて、そんな気になれるはずもなく。
でも、「楽しむ」ことって「感謝」のお隣さんのような気がするんです。
はるか
ここで大切なのは、「楽しい」ことが「楽」なことではない、ということ。
がんばってるその中にこそ、楽しいことが隠れてる気がするし、未来への希望が潜んでると信じたい。
「助けて」と言える子どもに育てたい
人は、何でも一人でできるような完璧になるか、人に助けてって言える環境に身をおくか、だと思う。
でも、完璧にはなれないし、一人でできそうなかんたんなことで「助けて」ばかり叫んでも誰も助けてくれない。
助けてあげたいと思える人って、やっぱり誠実だったり、何かしら魅力があるもの。
というわけで、うちの子には、一人で身の回りのことをしっかりできるようになることと、
周りに助けてもらえるような人になるよう言っています。
つまり、いい友達や仲間を作ってほしい。
まずは周りに惜しみなく助けられる力と知識を持ってほしい。
そして、子どもには「助けて」って言うことはかっこわるいことじゃないって知ってほしいな。
「体育」がずっと苦手でしたが
小学校から高校まで、ずっと「体育」が苦手でした。
決して嫌いなんじゃなく、苦手。
なんでかって、私が下手くそなので、周りの足を引っ張るからです。
実は、体を動かすのは嫌いじゃない。
よく歩く方だし、一人ならほとんど早歩き。たまに走ってる。
水泳も小さい頃から15歳までやってきたし。
体育の中で一番苦手だったのは、球技。
友達に、「晴香がボールに遊ばれてる」と言われましたが、ほんとそのとおりでした。
そして球技って、相手がいるものでしょ。
チームですることも多い。
だから、周りに迷惑をかけるのがほんと辛かった。
家でボールを買ってもらって夜な夜な練習したり、私なりには努力したけど、
バレーとかバスケとかクラブに入ってる子みたいにいくはずもなく。
そもそも「体育」って、人生において体を動かすことの大切さや楽しさを学ぶ授業だと思うんですが、
球技において私が感じたのは、「申し訳なさ」。
そして小学校の頃は、跳び箱やら鉄棒やらかけっこやら、ボール以外のものも多かったんですが、
なんでか大きくなるとボール率が上がって……ほら、球技大会とか。
あれ、ほんと辛かった。
体育系でそれするなら、平安貴族みたいに「歌をよむ大会」とかあってもよかったんじゃないの?とか思ってました。
私、それだったらそこそこ活躍できる気が(勝手に)してた(笑)
でもね、大人になってわかったことは、私の周り、今までかなりレベル高かったんだ、と。
もちろん私が運動音痴ってのは変わらないけれど、一応それなりに自分なりに努力してきたから、
何もしてないよりはいい感じかな、と。
とにもかくにも、最近運動してないな。
よく歩くことは歩くんですが、「運動した!!!!」って爽快感を味わえるようなことは何もしてない。
子どもが大きくなったら、乗馬に挑戦するのが今の夢です。
馬に遊ばれる私が予想できますが……。
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