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『22:22のヒトリゴト』……今日は「ま」!

こんばんは、嘉成です。

ここで、一つちょっと恥ずかしいことを告白します。

みなさんは、「あいうえお、かきくけこ、さしすせそ」と順に、スムーズに言うことはできますでしょうか?

日本で育った日本人なら、たいてい言える気がしてるんですが、実は私、「スムーズに」は言えないんです。

「あいうえお、かきくけこ、さしすせそ、たちつてと、なにぬねの」まではいけるんです。

でも、いつだってその後の「は行」がなぜかパッと出てこない。

そんなときは、「あかさたなはまやらわ」と頭に浮かべ、やっと「は!」と「は」を思い出します。

致命的なのが、私、これでも日本語教師なんですよね。

もちろん「あかさたな……」とやってけばすぐ思い出せるので、この状態がだれかにばれたことは一度もありませんが、内心ヒヤヒヤしています。

ちなみにアルファベットも、「Kの前って何?」と急に聞かれたら、パッと答えられません。

頭の中で「ABCDEFG……」と瞬時に歌って、「J!」と言っています。

そんな私のこのシリーズ、は行が終わり、今日から「ま行」です。(前置き、長っ!)

「ママ」と呼んだことがない私がそう呼ばれるとなんだかくすぐったくなる

私は母のことを、ずっと「お母さん」と呼んできました。

それは物心ついた時からずっとで、今もそう。

そんな私ですから、子どもが生まれてから、子どもにどう自分のことを呼んでもらうか、迷いもしませんでした。

もちろん、「お母さん」が「ママ」に比べ、小さい子にとっては言いにくいのはわかってましたが。

というわけで、子どもは「お母さん」をそれらしく言おうとがんばって、「おちゃーちゃん」や「かたん」や「かーたん」とか、長男の時は呼んでくれてました。

でも、保育園では母親のことは保育士さんが「ママ」って呼ぶんですよね。(非難じゃないよ)

お迎えに行ったら、「ママ、来たね」と子どもにやさしく言ってくれるわけです。

当然、朝から夕方までの長時間保育園にいるわけですから、そりゃ「ママ」の方がなじみ深くなるのよね。

というわけで、長男は一時期家でも私のことを「ママ」と呼んでました。

私はそれを否定することはせずに、でも自分のことはしつこく「お母さんはね」と言ってました。

そうすると、わりとかんたんに「お母さん」に戻りました。

「ママ」って呼ばれると、別に嫌なわけじゃないんですが、聞きなれない言葉すぎて、くすぐったいというか、そんな気分になるのなんでだろう。

そして次男(2)も、最近は私を呼んでくれるようになり、「たーたん」と言います。

おそらく、「お母さん」という意味かと……。

私が自分のことを「お母さん」と呼ぶのを次男の保育園(小規模のものすごく手厚くいい保育園)の保育士さんは知ってくださっていて、最初は「ママ」だったんですが、途中からうちの次男には「お母さん」という言葉を使って話すようにしてくれているみたい。

そこまで気を遣っていただくこともなかったんですが、「そうしときますねー」っって感じだったので、お言葉に甘えることにしました。

ま、どっちでもいいんでしょうが、人を呼ぶ呼び名って、私は愛情表現の一つだと思っているので、私は私のやりたいようにやり、あとは子どもにまかせようと思います。

この作品では、主人公が母親のことをどう呼ぶか、最後まで悩みました。

いつも、主人公が「ママ」か「お母さん」か、あるいは「母さん」「母ちゃん」か、どう呼ばせるか頭を抱えます……。

これによって、親子の関係が垣間見える気がするんです。

そして、たいてい「お母さん」にするんですが、今年出る新刊では「ママ」と呼ぶ子が主人公です!

「マラソン」は嫌だったけど負けず嫌いのために小学生の時は練習してました

冬の体育と言えば、マラソン。

ものすごーく嫌いでした。

なんでかって、しんどいから。

でも、負けず嫌いの私は、小学生の時、どうしても一番にはなれなくとも上位に食い込みたくて、夜に両親までまきこんで走っていました。

はるか

こんな走ったくらいで早くなったり、体力ついたりすんのかな?

と思ってましたが、やらないよりはいいかな、と。

緑道と言って、わりと短い遊歩道が近所にあり、その緑道沿いを走り、折り返してくる、というコースでした。

小学4年生の時、なんかの拍子に学校で「毎晩走ってる」って言ったところ、ある近所の男子に「うそつけ」と言われ、すごく悔しかったんですが、その数日後、謝られました。

私が夜に走っているところを、(車から?)見たというのです。

ちゃんと謝りに来てくれて、そのちょっとホッとしたような気持ちのまま練習をつづけ、その年は一等賞をとりました。

中学に入ってからは、やっぱり運動部に入ってる子達にはかなわず、美術部の私は夜に練習することもしなかったので、一桁に入るなんてことはまずありませんでしたが、ここでわかったことが一つ。

「嫌いと思うことでも、わりといい線いくものは、わりとあるのかもしれない」

その反対で、好きでもいつまでたっても下手くそってのもあるけどね、私の裁縫みたいに……。

というわけで、私はマラソンから「嫌いという感情は可能性を狭める」と学びました。

なので、「嫌い」と決めつけることはしないようになり、せいぜい「好きじゃない」におさえることにしました。

すると、いろんなことが見えるようになり、今の創作活動に結びついています。

「マフラー」に関する思い出・よく巻いてくれたものだ

私の趣味は、編み物。

わりと長くつづいている趣味で、結婚前もやってました。

夫がまだ夫じゃなかった時、私の趣味を知った夫は、「編んでほしい」と言ってくれました。

素直にうれしく、でも「手編みのマフラーなんて、重いんじゃ?それに趣味程度で上手でもないし」と思いもしました。

でも、編むことがとにかく好きで、マフラーとなるとそれを長く楽しめる、ということで、結局OKしました。

夫の好きな色とどんな手触りがいいか、好みの長さも聞いて、すぐに完成。

うまくできた!と当時は思いましたが、今から思えばそんな上手でもなかった。

でも当時も社会人だった夫は、スーツの上からもそれを巻いてくれ、出社してくれました。

そして、退社後に同僚か誰かの実家で飲む機会があったそうで、そこのお母さんに「いいマフラーしてるね」と言ってもらったようでニコニコしてました。

たぶん、それ、褒めてない……。一目で手編みとわかるマフラー……。

夫はぼろぼろになるまで使ってくれました。

私は「私ががんばって作ったものを大事にしてくれる人なんだな」と思い、結婚の決め手の一つになりました。

今も夫は、私の夢を一番に考え、応援してくれる文句なしの夫です。

今は息子達が、私の編んだニット帽なんかを大事にかぶってくれています。

ありがたいなぁ。

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