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子どもに「大好き」と言ってもらえることについて

家族の影

こんにちは。

1児の親をしております、嘉成です。

ふと、最近思うんです。

子どもが6歳になり、もうこんなに大きくなったんだな、時間がたったんだなって。

そして、いろいろなことを忘れていることにも気付かされました。

何かをきっかけに、雪崩のように思い出すこともあることにはありますが、

特に大変だった時のことなんて「大変だった」ことくらいしか覚えていなかったり。

はるか

そこで、考えたのです。

子どもの記録は、写真を撮ったりかんたんに文でしたためたりしてとってありますが、

自分の気持ちというか、その時感じたことは、あまりひかえていないな、と。

そして、想像するのです。

今、心満たされている時の気持ちを残しておくことが、何年か、あるいは何十年か先の自分の癒しになるんじゃないかと。

今日はそんな気持ちで、ここ最近感じたことを記しておこうと思います。

 

私の大好きな絵本:

いつからか子どもに言われるようになった「大好き」の言葉を改めて受け止める

初めて子どもに「大好き」と言われた日、とても嬉しかったのを覚えています。

その頃は、まだ語彙力がなく、会話もキャッチボールのようにポンポンとはできない時期でした。

私も「大好きだよ」や「そう言ってくれて、ありがとう」や「うれしい」と伝えると、彼は満足そうに笑いました。

それから、しばしば言われます。

たいていは、寝る前です。

あとは、叱られた後とか(笑)

他には、私が元気ない時なんかに。

たくさん言われるようになって、私は自分の母親に言わなかったなぁ、なんて思い出しました。

何度かは言ったような気もしますし、それにかわる他の言葉を放った気もしますが、わりと記憶はあいまいです。

そう考えると、たくさん言ってもらえるのって、ものすごくラッキーというか、幸せな気がしました。

私は特別よくできた母親でもないし、子どもの前でも普通に泣くし、料理上手だとかいうわけでもないのに、

どこをどう見てそう思ったのかはわかりませんが、一応愛情が適切に届いているのかな、なんて思っていました。

正直、あまりに何度も言われる時は、こっちも忙しい時もあったりして応えるのが大変な時もありましたが、

こう言われた時だけは何があっても手を止めると私の中で決めているんです。

おそらく子どももそれに気付いていて、なので「大好き」は「大好き」という意味を伝えるということもあるとは思いますが、

親をこっちに向かせる魔法のような言葉と思っている節もあるんじゃないかと(笑)

でも、それでいい。それがいい。

うちの夫は、ほとんどこういった愛情表現をしないので、ある時坊はこんなことを言っていました。

「お父さんは、お母さんに全然大好きって言わないね」

あっはっは(笑)

はるか

ほんとだねー

と、夫もその場にいましたが、つぶやいておきました(笑)

夫はもごもごと口ごもってしまったので、

はるか

お父さんは、恥ずかしがりやさんだからねー

と、なんでか私がフォロー。

坊は不思議そうに首をかしげていました。

好きなものを、人を、素直に口にできるって、私はすてきだと思うので、坊にはこのまま大人になってもらいたいなぁ。

恥ずかしがりでも、もちろんいいんだけどね。

子どもの「大好き」は、表情を写真に残しても動画で残すべきか悩む

きっと、この「大好き」は、いつか消えてしまうんだろうな。

言われ始めた時、すぐにこう思いました。

それからもう数年たっていますが、まだ言われています。

でも、やっぱりいつか言ってくれなくなる日がくるでしょう。

それも、成長の証。

はるか

だから今のうちに、子どもの「大好き」を残しておこうかな

そう考えたのが、最近。

でも、なんか……なんでかひっかかるんですよね。

特に、写真には残せても、動画に残す気にならない。

もちろんこれは、動画を撮っている方を批判したり、そういうことではありません。

おそらく、動画はその「ありのまま」を撮れても、私の感激や感動までは撮れないと思っているからかな。

この先に動画を見返した時、「なんかちがう」とか思わないかな?とかいらないかもしれない心配をしてしまうわけです。

何が正解かなんて、ありません。

この両腕におさまるサイズの我が子の一瞬のひと時を、脳だけで覚えておきたいという願いに近いかもしれません。

子どもが2歳くらいまでの方が、今よりずっと写真を撮ってたなぁ、なんて最近思います。

写真は、こっちを向いてくれなかったり、ぶれたりしても、できるだけ撮ろうかな、なんて考えてます。

子どもの「大好き」の裏に隠された不安や寂しさ・心細さについて無視はできない

ある夜、私は気付きました。

いくら大きくなっても、まだ未就学児。

語彙力もないし、自分の心の内をどう言葉で表現したらいいのかわからないのは当たり前です。

それらをひっくるめて、何か霧がかかったような不安や寂しさ、心細さを感じた時に、うちの子は「大好き」を発している気がします。

もちろん、親である私のことが好きだと感じた時も言ってくれていると信じていますが、それだけじゃない、とわかるようになりました。

思えば、ものすごい怖がりだし寂しがりなのに、得に「寂しい」は、坊は言ったことがありません。

そのかわりに、「大好き」と言っている気がします。

はるか

私が必ず向き合ってくれる安心感があるんでしょうね。

これに気付いてからは、「大好き」と言われる度に、「これはどの『大好き』かな」と考えるようになりました。

もちろん、そんなことを考えているなんて気取られないように、できるだけの笑顔で。

ある時、いつもの「お母さんも大好きよ」のかわりに、「大丈夫だよ」と言ってみました。

すると、彼は一つ小さくうなずきました。

やっぱり寂しかったのかな。

日中は保育園で、帰ってからもバタバタしているし、夜になってその反動が出るのは当然です。

私も、無性に不安で寂しくて、明日がくるのが怖くて、理由もなくおびえていた頃がありました。

今の坊と同じ、4~6歳の頃です。

とりたてて原因があるわけでもなく、なんとなく悲しくなる、みたいな。

坊も、私と同じかもしれません。

この不安や暗闇に、一人で立ち向かうことも大切ですが、なにも毎日じゃなくてもいいかな、と私は思います。

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いつまで言ってくれるかな?子どもの「大好き」と大好きの対象が変わる時に見送る心づもり

きっといつか、今は親が一番でも、それが何かや誰かに変わる日がくるんでしょうね。

そうなってほしいと、切に思います。

その時、私は手をふって見送れるように、今から心づもりしとかないとな、なんて考えています。

そして、子どもの新たな大事なものや人を、あたたかく見守れる存在になりたいなぁ。

子どもが大きくなり、ずっと小さい時は、健康というか命を守ることが最優先事項でした。

今ももちろん変わりはしませんが、それに加え、近年は「子どもの心を守る」ことが入ってきました。

安心して失敗できる環境や言葉がけに、日々悩みます。

それでいて、彼がもつこだわりの部分……プライドだけは傷付けないようにしていきたいです。

私に似ずやさしい子に育っていますが、これからどうなるんだろうか。

とても楽しみです。

 

写真は、久しぶりに撮った家族写真。

みんなで歩いて買い物に行くところ。

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