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児童文学作家の私が受けた親からの教育と環境について

天王寺動物園


こんにちは。

児童文学作家の嘉成晴香です。

細々と作家活動をしていますと、時々言われるんです。

「子どもの頃から、優秀だったんでしょう?国語とか、やっぱり得意だったの?」

すみません。国語、めっちゃ苦手でした。

「この時の登場人物の気持ちは?」とか聞かれても、大衆向けする答えの見当はついていても、あえてちがった答えを書いて自滅するタイプでした。

中学までは成績は優秀じゃないわけではありませんでしたが、がんばってその程度でした。

 

それから、作家なんかやってると、たまにこうも聞かれます。

「どんな教育を受けてきたの?」

これには、最初聞かれた時うなったものです。

だって、私は私の家庭しか知らないわけですから、比べようがない。

あえて言うなら、父が図書館司書で、母が国語教育熱心だったことかなぁ、なんて答えてました。

はるか

なのに、国衙が苦手という……1度、名前の書き忘れで0点になったしね……

けれど、自分に子どもができ、子が話せるようになった頃から、改めて自分の育ってきた環境が、受けた教育がすばらしかったことに気付いたのです。

子どもの時はそんなことに気付くこともなく、文句ばっかりで「もっともっと」とほしがってばかりだったように思いますが、今はそれがどれだけ恵まれていたかがわかります。

今日は、私の周りとちがってたなと思う点を中心に、どんな教育を受けてきたか書いてみようと思います。

確実に、これがなければ今の私がなかったものばかりです。

 

図書館司書である父が毎日本を借りてきて食べるように読む日々

父が図書館の司書だったため、子どもの頃は毎日のように帰りに借りて来てもらってました。

ということで、本のチョイスは全て父。

児童書の王道を中心でしたけどね。

でも、これには盲点が一つ。

図書館は、子どもの足ではすぐに行けない距離にあったため、借りるために図書館へ行った記憶はありません。

恵まれた環境ではあったのですが、私は自分で本を選ぶということを知らずに小学校まで育ってしまったため、小学校に入ってから図書室で借りる時、私は困ったのです。

何がって、どの本を借りていいか、わからなくて。

本の選び方、知らなかったんです。

その頃にはすでに本好きになっていたので、全部借りたい。でもそういうわけにはいかない。

ということで、私は本棚の端から順に本を読むことにしました(笑)

この方法は中学に行ってからもつづき、中学校の時はほど全部図書室の本を読んだ!と言えるくらい読みました。

(母校、そんなに図書室大きくなかったんです)

そして、空いている本棚に、こそっと自分のおすすめ本を並べてました(笑)

司書の娘がすることじゃない

パスラさん

そして、同級生の友達はあんまりいなかった私ですが、下級生には慕ってくれる人がわりといて、その棚を見せて自慢してました……。

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父と母が小学校低学年まで長編の児童文学を読み聞かせしてくれた

本の読み聞かせというと、どんなイメージがあるでしょうか。

だいたいは、大人が、まだ字が読めない小さい子どもに、絵本を読む感じじゃないでしょうか。

でも、うちは、小学校2年生頃まで、毎日、絵本ではなくわりとぶあつく絵があんまりない本を読んでもらっていました。

はるか

絵本も読んでもらったはずですが、記憶にはほとんどないのよね

だいたいの人は、子どもが自分で読めるようになったら、読み聞かせはやめてしまうと思います。

でも、うちはそこでやめず、次は子どもがまだ読めない漢字がたくさんあるような本を読んでくれたのです。

これが、よかった。

親は大変だったと思います。

読み聞かせって、なかなか体力いるんですよね。時間も。

私は夜に目次一つ分くらいを読んでもらい、昼に自力でわかんない漢字を読み飛ばしながら読み、また夜に読んでもらう……ってのを繰り返してました。

はるか

両親は時には、おもしろいシーンや盛り上がるところだったら、目次一つ分と言わず二つも三つも読んでくれました。

私には5歳の子どもがいますが、実は私、読み聞かせが苦手。

ものすごい体力いるんです。

読めば子どもは喜んでくれますが、ついついひらがなが読めるようになってくると、「自分で読んで」とか言ってしまう。

親がいとも簡単そうにしてくれたこと、自分ができると思ったらおおまちがい。

大きな愛情と、いっしょに楽しもうという好奇心がそろわなければ毎日つづけることは不可能です。

 

本が苦手な人はいるでしょうけれど、物語がきらいな人はそんなにいません。

物語の先を知りたいと思えたら、自分から「読みたい」ってなるんですよね。

小学校に入ってからも、物語を耳で味わうことができたのも、ほんとによかったと思います。

 

また、小学校3~6年生の時、4年から5年に移る時に担任の先生が変わっていますが、その二人の先生、よく読み聞かせをしてくれました。

それも、とても幸せな時間でした。

クラスには、聞いていない子も何人かいましたが、私はどうしてそんなことができるかわからなかったな。

だって、読んでもらえるって、貴重なことだから。

でも、今ならわかります。

物語を耳から聞いて、それをイメージする力って、一朝一夕では身に着かないってこと。

はるか

せっかく読んでもらっても、日本語だとはわかるけれど、追いきれないというか、頭に入ってこない人もいるということ。

そういう意味では私は親にきたえられていたので、想像力もたくましくなっていたこともあり、読み聞かせをより楽しめる耳になっていたのでした。

 

小学校時代は世界子ども名作シリーズにはまりひたすら読む!これが文庫本デビュー

本が好きな人ならわかるでしょうけれど、本ってなかなか重いんですよね。何冊も持つと。

そんな時、出会ったのが「文庫本」でした。

小学校中学年の頃、図書室の本棚のすみにそれはあり、見た瞬間

はるか

何冊でもランドセルに入る!

と思ったものです。

それは、世界子ども名作シリーズでした。(名前はあやふや)

  • 小公子
  • 小公女
  • 家なき娘
  • 家なき息子
  • 二人のロッテ
  • 長靴下のピッピ
  • プー横丁にたった家

とか、ここらへんです。

もう、楽しくって。

これも、端から順に読みました。

中学に入ってからは、友達から借りた「コバルト文庫」とか「ホワイトハート文庫」とか、いわゆる少女小説?ってので文庫本を手にしていました。

高校・大学では、児童文学はほとんど読まなくなり、文庫本ばかり。

カバンに常に3冊は入ってないと落ち着かない!って感じでした。

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小学校中学年頃まで毎月数回は映画館で映画鑑賞する日々

さて、本が好きで小さい頃から本と触れ合ってきた作家さんは多いと思います。

私が他の作家さんとちがうとしたら、もしかしてこれかも。

「映画」です。

物心ついた頃から、小学校中学年頃まで、月に1度は映画館へ行っていたように思います。

親戚に映画関係の仕事をしている人がいまして、タダ券を何枚に譲ってもらってたんです。

見切れないほどもらった時は、いとことか姉の友達を誘って行ったこともあったかな。

なので、タダ券をもらわないようになって(親戚が退職したから)、映画のチケットがあんなに高いものだとは思ってませんでした(笑)

はるか

300円くらいだと思ってた

さて、どんなものを見ていたかというと、ほんとにいろいろです。

洋画も、邦画も。

ジブリ作品とかも、いつも映画館で見てました。

母がその頃は洋画の方が好きだったのか、洋画が多かったようにも思います。

でも、映画の券がたくさんあるので、邦画もたーくさん見ました。

一番思い出に残ってるのが、「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」の二本立て。

この二本立て、ほんとに何回も見たな。

どちらも、日本の美しい風景がすばらしいのよね。

内容は、幼稚園児だったのであんまりピンときていませんでしたが、文句言うことなく見てましたよ。

私の中では、映画といえば、このセットなのよね。

 

そうそう、二本もあると、けっこうな時間なんですよね。3時間とか?

はるか

そして夕方から始まるから、私は映画へ行く日はお昼寝するように言われ、でも昼寝のきらいな私は全然寝られず。

けれど映画はばっちり寝ないで見てました。

帰りの車の中では、毎回爆睡でしたけどね。

こういう生活を、幼稚園時代から送っていたわけです。

今思えば、ものすごい贅沢。

映画館って、やっぱり迫力があっていいですよね。

映画館へ行く時は、いつも家族そろってで、休みの前の夜とかが多かったかな。

ドラえもんとかアンパンマンとか、そういういわゆる「子どものための映画」は一度も行ったことがありませんでした。

ま、せっかく見るなら大人も楽しめるものをという親の気持ちもわかります(笑)

ジブリ作品は、「もののけ姫」は3回ぐらい映画館で見たかな。

 

うちの子どもは、去年、やっとこさ映画館デビューしました(笑)

子ども(4歳)が「初めての映画」鑑賞!注意したいこと&反省点

 

正直、うちの親、未就学児をよく何度も映画館へつれていけたなと思う。

うちの子どもなら、興味ないものだったら「もう帰る」とか言いそうだもん。

ま、映画鑑賞は家族で外食するようなもんで、家族行事の一つだったので、「そういうもん」ととらえてたんでしょうね、私は。

とにかく、小さい頃に年に何十回も映画館へ行けたことは、今思えばとっても貴重で感性を磨き、知識を広げるすばらしい機会だったんじゃないかと思います。

 

映画館は、やっぱりすばらしいです。

でも今は、Amazonprimeとかさ、いろんなので気軽に安く家で映画を楽しめますよね。

テレビだって、小さいのも大きいのも、そんなに値段変わらないのもあるしで。

ということで、うちでは46型のテレビでよく映画見てます。



子どもが見ても大丈夫そうな大人の映画とかは、子どもといっしょに見てます。

映画だけでなく、子どもの反応を見るのも、楽しいのよね。

かかりつけ医の先生が教えてくれる絵画教室で愛され自信をつける

私が「表現する」ということを素直にできるようになったきっかけが、これ。

それまで私は、全てに自信がありませんでした。

4つ上に姉がいるんですが、4つも離れてるのに勝手にライバル視?して、追いつこうとしていましたが、やっぱりかんたんにはいかず。

姉は絵も上手で、あこがれていました。

でも、友達の紹介で、かかりつけ医の内科の先生が主催されていた「絵画同好会」(「絵画教室」と呼んでいました)に、月一で通うようになってから、変わりました。

はるか

いやー、単純な理由です。

褒められたんです。

絵画教室のほとんどは大人。年配の方も多く、私は孫のようにかわいがってもらいました。

たいしてうまくかけなくても、上手な1点を見つけてくれ、そこを褒めてくれました。

それまで、学校の先生にはたまに褒められることがあっても、苦手と思っていることを褒められるなんて、ありませんでした。

それも、赤の他人の大人に。

私はうれしくって、紹介してくれた友達が行かないようになってもずっと通いつづけました。

内科の先生は、私の絵の恩師であり、人生をあたたかいまなざしでいつも見守ってくださいました。

第57回PHP賞受賞作「頑張ったら、きっとなれる」:人生の恩師である石井先生のエッセー

家族や親戚、学校の先生以外の大人と触れ合える、褒めてもらえたことは、確実に私に自信をつけさせました。

絵や文章において、表現することは自由であること。

上手下手というよりは、楽しむこと。

絵画教室に通い始めた小学校高学年から、私は詩や短編の物語を書くようになりました。

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子ども時代の一番のおもちゃはノートと鉛筆!ゲームはしませんでした

家の方針で、うちにはあまりおもちゃがありませんでした。

いくつかはあったんですが、一番思い出深いのは、ニューブロック。

5歳の子どもも夢中で遊ぶ!学研ニューブロックの魅力

あとは、ノートと鉛筆、色鉛筆、クーピーなんかが一番身近で、心躍るものでした。

ノートや鉛筆は、たくさん買ってもらえたんですよ。

はるか

一日に一冊、乱雑に書きなぐった時には、さすがにもっと丁寧に時間かけて書きなさいと言われましたけどね(笑)

何をノートに書いていたかというと、日記とか、絵とかです。

ノートのページがうまっていく感覚が、とてつもなく好きだったな。

私が小学校卒業までに書いた、詩のノートは、大学ノート25冊。短編3冊。

中学・高校時代は大学ノートを縦に使い、小説を大学ノート20冊分書いてました。

こんなのをまとめ買いして愛用。

私の幼少期は、ちょうどゲーム(ファミコン?)がものすごく流行っていた時代で、小学校に入ってからはゲームボーイでみんなポケモンやってました。

そんな中でも、ゲーム類がいっさいうちにはありませんでした。

もちろん、「ほしい」的なことは親に言ってはみましたが、誕生日やクリスマスであっても買ってくれず。

私は早々にあきらめ、ノートに書きなぐることでストレス発散寂しさを紛らわせていました。

今思えば、これが創作のスタート。

自分と向き合い、「何もないなら自分で作ればいい!」という思考になったことは大きい。

ゲームを悪く言うつもりは全くありませんが、ゲームをしていたら創作をする考えはうすくなっていたかもしれないし、時間はへっていたことでしょう。

また、みんなはゲームやってて自分はできないというハングリー?な精神を創作に向けられたのは、やっぱりよかった。

ただ毎日楽しくて、それを創作にできるのは天才のすることで、だいたいはこんな寂しさや怒り、どこにも押し付けられないわだかまりから何かは生まれるんじゃないかと思います。

わざとそれを作る必要は全くないと思いますが、どんな負の感情も、向け方次第ですばらしい道になる。

ほしいおもちゃがもらえなくても、こうして親には「創作の時間」をもらったんだと思います。

母が結婚前に路上でもらった新約聖書を読破し心の支えとする

私の子ども時代で、人間関係がうまくいっていた時間はひとにぎりでした。

常に、限界ギリギリのところにいたと、今ならわかります。

でも、両親に迷惑かけるわけにもいかないしというのと、見栄っ張りだったり負けず嫌いなところもあったので、なんとか踏ん張ってました。

当時は何もわかっていませんでしたが、自分のどこが悪いのかわかっていませんでした。

今なら、「癇に障る」子だったからじゃないかなぁと思います。

意地悪だったり乱暴だったりするわけではないけれど、フラフラしてる感じ、かな。

はるか

私のいいわけとしては、グループとか、一人の子と仲良くしつづけるより、いろんな子と話したりしてみたかったんです。

あと、トイレとかは一人で行きたかったし、時には友達の話より読書とか好きなことを優先したかった。

これだろうなと思います。

マイペースにしているつもりが、他から見ると「自己中」だったり「協調性がない」だったんでしょうね。

でも、だからって、ずっと寂しかった。

そんな時、出会ったの、新約聖書でした。

うちはキリスト教でも何でもありませんでしたが、母が結婚前に路上で配布していた聖書を受け取り、結婚後も持ってきていたんです。

新約聖書は、本棚の高い位置にあり、家で読むものがなくなった10歳の私は、背伸びしてそれを手にしました。

はるか

なんだここりゃ。聞いたことあるけど、どんなこと書いてあるんだろ?

新約だけ入った、わりとうすい本。

私は何日かに分けてそれを読破し、初めて「目から鱗」という言葉を理解しました。

はるか

これこれ!そう、これ!こんな風に、背中を押してほしかったの。こんな風に、励ましてほしかったの

そこには、私が今までかけてほしかった激励があり、アドバイスが書かれていました。

聖書の言葉って、ものすごーいダイレクトなんですよ。

周りの大人は、人間関係の話をしても、私を傷付けないようにか腫れものも触るようにしか接してくれず。

なので、こんなに力強く、手を引っ張って立たせてくれるような言葉は初めてでした。

ということで私は、家族や知人にクリスチャンが一人もいない状況で、こうして神様と出会いました。

 

教会に17歳から行くようになり、びっくりしたことがあります。

小さい子達が、たくさんのお兄さん・お姉さん・大人に愛されて育っているということ。

私の幼い頃を思い出すと、悪い意味でなくみじめに思うほど、たくさんの愛に囲まれていたこと。

親や先生以外に、心を許せる大人がいることの、なんとまぁ幸せなこと。

 

私は、私が子どもの頃会いたかった大人になりたい。

まだまだ程遠いんですが、夢の実現に向けて進んでいきたいです。

小学生に編み物(かぎ針)を教えて思い出したこと

ということで、何が言いたいかといいますと、ギリギリだった私ですが、聖書のおかげでこの世から消えずにすみました。

心を健康に保つことが、どれだけ大変か。

どんなに辛いことが起きても、支えてくれる聖書の言葉があり、どうしたらいいか教えてくれる言葉があったおかげで、ものを表現できるくらいの精神力はもちつづけることができました。

これって、大切だと思うんです。

どんなに才能があっても、それを表に出したいという気力がなければ宝の持ち腐れ。

ただ、旧約聖書の「詩編」と呼ばれる章なんかを読んでいるとね、その重厚で上品な言葉に圧倒され、しばらく創作できない時もありました(笑)

はるか

これ以上のものを作る意味がないんじゃないかと思って

でも、私に「書く」才能があるのは神様が決めたことなのだから、やっぱり表現していくことに決めました。

 

以上が、私が両親から受けてきた、「英才教育」であり、環境。

常日頃から、読書や映画鑑賞で芸術に触れ、周りに自信をつけてもらい、創作しなきゃやってられないような環境で、表現できるだけの心の健康を手に入れたって感じかな。

ちなみに音楽は、父が好きなのでよくレコードで聴かせてもらってました。

クラシックとかジャズとかも。

邦楽では両新どっちもファンの松任谷由実さんを聴いてたな。

あと、さだまさしさんとか。

思春期に入ってからは、姉がファンになったものを私も好きになって聴いていたかな。ゆずとか。

バンプオブチキンも大好き。

アイドルも、詳しくはないけど大好き。

 

何かご質問などありましたら、また受け付けまーす!

 

トップの写真は大阪の天王寺動物園。

うちの子は、動物園だけはたくさん行ってます。

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