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『22:22のヒトリゴト』……今日は「こ」!

こんばんは。

嘉成晴香です。

今晩もどうぞよろしく。

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「子ども」を子どもあつかいしない・できない

私は子どもを「子どもあつかい」するのが苦手です。

相手の年相応に接するのは「子どもあつかい」でなく、私の場合は「思いやり」です。

なので、自分の子どもの友達にも初対面なら敬語(それがわかる年齢なら)を使うし、

お礼を言う時は頭をさげます。

もっと子どもに対してフランク?になれたらとも思ったこともありましたが、大人と同じように接します。

というか、これしかできない。

私と接した子ども達は、時々不思議そうな顔をします。

でも、いいんだ。

かつて私も、私を「子ども」じゃなく「私」として対応してもらったことがあって、うれしかったもん。

 

物語を書く時、私はこれまで、「子どもだった私」として書いていると思っていました。

でも、よくよく考えると、大人の私は、ただ年をくっただけの私でした。

考え方はほとんど子どもの頃から変わってないし、知識は増えたけど夢や希望もそのままです。

私は私のまま、私として物語を書いてるんだな、と最近は思います。

子どもの時の方が、大人ぶって教訓臭いの書いてたかも(笑)

一応年齢は重ねたので、見た目は大人ですが、(どこかで聞いた文句だな)

玉ねぎの一番内側のように、中にはちゃんと子どもの私が生きているんです。

この子がいなきゃ、大人の部分の私はただの野に放り出された衣なのです。

「こんにちは」を大切にしたい・そして気になる「わ」

一日で、一番多く発する挨拶は、私の場合「おはようございます」です。

「こんにちは」は「こんばんは」より少ないかも。

今後の目標は、「こんにちは」の頻度を上げること。

太陽が高い位置にいる日中に、笑顔いっぱいに言えたら、そんな自分を好きになれるなって。

あと、「こんにちわ」と書く方がけっこういらっしゃいますが、私はそれ、苦手です……。

「こんにち(今日)は、お日柄もよく………」のように、「こんにちは」は略式の挨拶だと思うからです。

「こそこそ話」「こしょこしょ話」が嫌いです・特に音

小さい頃から、何度もされてきた「こそこそ話」。

目の前の子が横目でこっちを見ながらしていました。

いい気分になれるはずがありません。

だから、私は何があっても人前でしないと決めています。

それほどトラウマものなのです……。

目の前にいるのに自分にだけ教えてもらえない悲しみ、こみあげる涙とそれをおさえるために引き締めた顔の筋肉のきしみ、

鼻の奥がきゅっと痛くなって、どこを見ていいか、どうすればいいかわかんなくなったな。

あの辛さは、相手がどんな人でも味わわせていいもんじゃない、と思うのです。

あと、このトラウマもあってか?、こそこそ話をしている時に漏れる音も苦手。

むしろ、嫌い。

なので、私が寝ているので、夫と子どもがヒソヒソと声を落として話している時も、イライラしかしない。

私の睡眠の邪魔にならないようにしてくれているのはわかってるけれど、それなら普通の音量がいい。

なんでこんなに嫌な気分になるのかな。やっぱりトラウマなのかな。

目の前の「こそこそ話」はともかく、小さい声で話す音くらい、そろそろ慣れたいんだけどな。

 

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