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「神様はどうしているの?」についての答えを考える

ブランコの後ろ姿

こんにちは。

日本で「私はクリスチャンだ」と言うと、「クリスチャン=敬虔である」と思われ、セットで「敬虔なクリスチャン」とか思われがちですが、そうでもない嘉成です。

日本のクリスチャンは、日本の人口の0.1%にも満たないと言われているので、クリスチャンに会ったことがない方が多いこともあるでしょうね。

そして大事なことを一つ言いますと、「敬虔でなくとも」クリスチャンでいられるということです。

また、家がキリスト教徒でなくとも、誰でも、クリスチャンになることはできます。

そして、教会はクリスチャンじゃなくても歓迎してくれます。

はるか

そもそも、教会に初めて行く前に神様を聖書読んで信じたのって、私くらいなんじゃないかってくらい、一人で信仰をもつ人はそんないない

 

どれだけの信仰があれば「敬虔」と言えるのか?敬虔なクリスチャンはそんなこと気にしない

たまにそりが合わない方がいて、「そんなんでクリスチャンか」的なことを言われたこともありますが、信仰を持たない方にそれを言われると首をかしげてしまうことがあります。

私の周りの一般的に「敬虔」と言えるクリスチャンのお友達は、「敬虔」になるために信仰をもったわけじゃないんですよね。

ただ、神様に喜ばれることがしたいから、が1番の理由のような気がします。

私はというと、お好み焼きの上にかかった、湯気にユラユラ揺れる鰹節のような信仰度合いで、なんとも頼りない感じです。

けれど、我が人生には必要不可欠で、お好み焼きという私を見た時、鰹節がなければインスタ映えしない感じ。

信仰がないと、私が輝かない。

そんな感じです。

日々、いらんことばっかりするし、いらんこと言うし……ですが、こんな私でも、クリスチャンです。

「神様を信仰するって、どういうこと?」

ってたまに聞かれます。

前まで、この質問になかなかはっきり答えられなかったんですが、私はこう言ってます。

「選ぶことです」

ただ、助けてほしい時じゃなく、どんな時も指針というか、お手本を聖書からもらうこと。

だから、「決めること」とも言えます。

 

うちの家族と信仰と教会と

さて、私の両親はキリスト教ではありません。

どうして信仰をもったかや経緯なんかはまた別で話すとして、今日はうちの話。

私の家族は、私より学年で一つ年上の夫と5歳の子どもの3人。

夫は洗礼は受けていますが、ぶっちゃけちゃうと「日曜日に教会行くより寝てたい」人(笑)

子どもにとっては、教会=遊べるところ、人がいっぱいでちょっと恥ずかしい、って感じです。

よく、

「子どもは赤ちゃんの頃、洗礼受けたの?幼児洗礼って言うんだっけ?」

とか聞かれますが、私はプロテスタント派なので、それはありませんでした。

はるか

なので私も夫も洗礼名とかはないよ

それに私としては、信仰は自分で決めるものなので、子どもが神様を受け入れたら洗礼をすすめようかなと思っています。

 

親がクリスチャンの家を、「クリスチャンホーム」と言います。

クリスチャンホームでは、ホームスクーリングしたり、家族というチーム一丸となって生活をするのですが、うちはそれとは程遠いです。

ただ、子どもを叱ったり励ましたりする時は、聖書を引用します。

日頃は、たぶん一般的なクリスチャンホームと比べると、半分も神様のことについて話したり祈ったりはしていません。

日曜日は、できるだけ教会に行くけど。

 

子どもの神様についての質問の経緯

子どもは現在5歳。

物心ついてからも、神様について語る機会があまりなかったので、自然と信仰をもつということはありませんでした。

けれど、最近彼は、彼の中の神様と対話しているようです。

まず、

「神様っているの?」

こんな質問がきました。

はるか

いるよ。いるから、お母さんのところに生まれてきたんだよ。

それからその1か月後、

「神様ってどこにいるの?」

と、今度はこう聞いてきました。

はるか

どこにいると思う?

「わかんない」

はるか

本当に会いたくなったら、いつでも会えるよ

こう答えると、フッと笑ってました。

そしてその1週間後、今度は

「神様は、どうしているの?」

これには、どう答えたらいいか迷いました。

5歳児にわかりやすく話すには、どうしたらいいか。

私なりの答えは……

はるか

あなたを決して一人にしないためよ

私が信仰をもつきっかけになったのも、これ。

 

私の答えは、まちがっているかもしれません。

でも、まだ未熟な私のありのままの答えはこれになりました。

 

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私達の神様は「都合のいい神様」ではない

よく「神様に祈っても助からなかった」とか「意味がなかった」とか聞いたり読んだりしますが、一人の人間の思い通りになるなら、その人は独裁者でしかないでしょ。

もちろん、叶えられない時もありますが、それはその先のもっと大きなことへの経緯であるようです。

子どもには、これからも私の知識ではどうにもならない時を中心に、聖書から知恵を得ようと思います。

そのためには、やっぱり聖書の言葉をしっかり覚えておくことだなぁと最近思います。

はるか

とっさの時に使えないと、意味ない……

 

これから、子どもからどんな質問が出てくるか、楽しみです。

わからなければ、いっしょに考えられたらいいな。

それで、聖書のとおりにやってみて、どんなことが起こったか、互いに報告したりさ。

 

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