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小説で「です・ます」調と「だ・である」調をどう書き分けるかと効果など

白黒猫


こんにちは。

児童文学作家の嘉成晴香です。

小説の技法ってのは、そういったハウツー本がたくさん出ているように、いろいろあります。

その一つに、文章の語尾を「です・ます」調にするか、「だ・である」調にするかもあると思うんです。

私の作品では、本によっていろいろ変えています。

たまに「なんで『です・ます』調にしたんですか?」という質問を受けますので、

今日はそれについての私の考えを書いてみたいと思います。

はるか

ちなみに、こんな質問をくださるのは、みんな大人(笑)

主な読者ターゲット層からは、むしろ「です・ます」で読みやすかったというご感想をもらったことも。

 

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小説の「です・ます」「だ・である」調は人称や主人公のキャラで決まる

さて、トップの写真をご覧ください。

例えば、

「吾輩は猫である」

ってのと、

「私は猫です」

って言葉を、このネコさんが話していたとして、どんな印象のちがいを受けるでしょうか?

私が言いたいのは、これなんです。

どっちがいいとか悪いとかでなく、自分の作品の登場人物のキャラや、世界観に合うかどうか。

また、人称でも変わってきますね。

一人称か、三人称かでも。

主人公が男の子で、一人称、そして「です・ます」調の時が一番「なんで?」と突っ込まれますが、

私からすると、どうしてなんでと思うの?と思うのです。

男の子が心の中でだけやわらかい雰囲気を持っていてもいいじゃないのさ。

そんなに強い男の子ばかりじゃないしね。

主人公が心の中で何かを思う時、「です・ます」か「だ・である」、どちらに近いか、まず考えます。

はるか

そのキャラクターに合う方を採用!

話し言葉をセリフ以外で入れすぎると、私の小説の場合バランスが崩れるので、あまりしません。

 

こちらも参考にどうぞ:

父母の似顔絵小説を複数視点(主人公が二人以上)で書く時に気を付けたいこと

「です・ます」調でないと頭の中から小説として出なかった物語がある

小説の書き方はいろいろありますが、私はプロットをあまりちゃんと作りません。

はるか

最近は、ちょろっとだけ作るけど

じゃあ、どうやって書いていくかというと、頭の中に浮かび上がったイメージやシーンを

それを描写するように書き起こしていきます。

その時、わざわざ「『です・ます』にしようかな?」とか考えません。

文章が頭に出てきたとおりに、書いていきます。

なので、もし「やっぱり『だ・である』調の方がいいかな?」とか最初に考えてしまうと、

そこでつっかえて頭から小説が出てきません。

はるか

あ、でも、推敲の段階で「です・ます」から「だ・である」、または反対に変えた場合もあるよ

ということで、私はあまりこだわりがないのかもしれません。

ここまで書いときながら何言ってんだって感じですが。

 

プロットについてはこちら:

ヒマワリ小説執筆においてプロットを立てるといいこと5つ(私の場合) 小説のプロットの立て方!作家の方にいろいろ聞いてみたことと考えたこと

 

そもそも小説において「です・ます」・「だ・である」調のイメージは?

さて、では「です・ます」と「だ・である」調のイメージは、どんなちがいがあるのでしょうか?

私は児童文学作家なので、その視点から書いてみたいと思います。

小説(児童文学)においての「です・ます」調のイメージ

まず、「です・ます」調って、やさしい雰囲気ですよね。

そして、幼い感じ。

具体的に言うと、小学校低学年や、未就学児向けの絵本に多いような。

 

はるか

もしかして、私の「です・ます」調の小説(主にターゲットが小学校高学年)で違和感を感じられる方は、「大きい子向けなのに、小さい子向けの文章?」と思われるのかもしれません。

 

あと、「です・ます」調って、なめらかな雰囲気もありませんか?

あと、丁寧なイメージも私はあります。

子どもが主人公の場合、あまり形式ばった敬語を使わせると違和感がありますが、(心の中でも)

「です・ます」だとそういった「リスペクト」的な雰囲気を出せます。

ここまでくると、主人公がどう育ってきたか、何を常に考えているか、文章にしなくても匂わせられますね。

以下は、私の作品の「です・ます」調のものです。

特に『星空点呼』は、二十歳の主人公も小学生の主人公も一人称で書き、そして「です・ます」調。

編集者さんとも、最後までうんうんうなりながら考え、一度は全て「だ・である」調に変えてみました(笑)

でも、そうするとしっくりこなかったんですよ。

それに、二十歳の青年の中の「子ども」の部分を書いた作品でもあるため、「です・ます」調の方が結果的になじみました。

『人魚の夏』に関しては、「です・ます」調でなければ生まれなかった物語です。

もし「だ・である」調にすれば、主人公の性格が変わり、ストーリーも変わったと思います。

ま、それがいいか悪いかは、わかりませんけどね。

小説(児童文学)においての「だ・である」調のイメージ

さて、お次は「だ・である」調のイメージ。

実はここまで書いておきながら、私は「だ・である」調の方が親近感があります。

何をもって「親近感」と言うのかは、自分でもわかりませんが、自分の中で何かを思う時、こっちなんでしょうね。

『流れ星キャンプ』は、確か最初は「です・ます」調だったはず。

でも、編集者さんと相談して、結局「だ・である」調になりました。

はるか

主人公の一人である朱里(あかり)のパートを「だ・である」調に変えるの、けっこう苦戦したなぁ。

そして、「だ・である」調に推敲することで、やっぱりちょっと、物語の雰囲気変わりました。

でも、これはこれでよかったなと思ってます。いや、こっちの方が断然いいな。

小説において「です・ます」「だ・である」調をどちらも出すこともできる

一作に、「です・ます」調と「だ・である」調の二つを入れることもできます。

複数視点の小説の場合、それを可能にします。

自作では、『セカイヲカエル』がそう。

主人公は小6の男子二人で、二人は親友ですが、性格はけっこうちがいます。

この性格のちがいを利用し、一人は「です・ます」調、もう一人は「だ・である」調にしました。

パートごとに雰囲気が変わって、いい感じになったんじゃないかと自分では思ってます。

 

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「です・ます」でも「だ・である」でも小説の読者ターゲットに一番伝えられる方法を考えたい

読者は、勝手です。

私も世の中の本の読者の一人として、そうなのです。

物語を読みながら、勝手に先を想像したりして、それにうまく裏切られたら嬉しくなるし、

「ええー?!」ってなったら勝手にがっかりするし。

ほんとはね、本に書いてるそのままを受け入れたらいいんですよ。素直にね。

でも、そんなこと、普通できません。

本を読む前の自分を捨てきるなんてこと、できませんから。

これまでのバックグラウンドがあって、それにそれがあるからこそ「共感」もできる。

物語の世界観や、書いてるそのままを、「そうなんだ。へー!」と受け入れられたらいいんですが、

やっぱりそうはいきません。

はるか

でも、読者はそれでいいのかと。

読者は、どう読もうと、それを読んでどう思おうと、自由です。

本は、作者だけでなく、ほんとにたくさんの手と目がかかってできあがります。

世の中に出ちゃえば、もう手は離れてしまって、作者にはどうしようもありません。

私の物語を読んで、「は?」と思われても、「ご期待に沿えず申し訳ございません」としか言えません。

私の物語は、どちらかというと少数派の方々に共感してもらいやすいもののような気がしているので、

これまで何人の読者さんに「は?」と思われたかわかりません。

けれど、私が届けたかった方々に、ちゃんと届いている実感もあるので、これからも小説を書いていこうと思います。

作家は、書き手である以上、伝えたいことを伝えたい人に、一番伝えやすい・伝わりやすい方法をとらなければなりません。

それは「です・ます」「だ・である」調に限りません。

本が世の中に出るまでに、あらゆることを考え、意見を取り入れ、自分史上最上のものとなるように頑張るしかありません。

いや、頑張りたいのです。

これからもずっと。

 

このブログも、思えば「です・ます」調だなあ。

はるか

なんでだろ。

心の中は「だ・である」調に近いのにね。

多分、私の見栄っ張りなとことか、丁寧でありたいという理想が関係しているのかも。

なんにせよ、語尾一つで雰囲気やら何やらが変わるの、ほんとおもしろいなぁ。

 

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