こんにちは。
児童文学作家の嘉成晴香(かなりはるか)です。
昨日、いつもお世話になっている教会(プロテスタントのキリスト教の教会)で婚約式がありました。
あ、もちろん私のじゃないです。
同じ教会の友人のです。
教会では、毎週日曜日に全世界で礼拝しているわけですが、だいたいは朝(10時からとか、10時半からとか)と、午後から(15時からとか、17時からとか)の2回の礼拝をもっているところが多いと思います。
その第二礼拝(午後から)で、昨日は婚約式が執り行われたわけです。
教会の婚約式って何?どういう意味?
「婚約式」と聞いても、何をするか想像はついてもピンとこないのが一般的な意見じゃないでしょうか。
でも、こう言うとわかるはず。
「結納のようなもの」
日本の伝統である結納と、基本似たような感じです。
フォーマルな服を着て、婚約を神様に誓い、記念品の交換をする。
昨日婚約された二人の家族は、本人達はクリスチャンですが家族はちがいました。
けれど、弟さんご夫妻まで来てくださって、和やかに式を終えることができました。
婚約式は、第二礼拝の中で行われたため、ただの教会メンバーの私や夫、子どものような者も出席させていただきました。
私達も、ちょっとフォーマルな服を着て、半年後には夫婦になる二人を祝福。
最後は写真撮影の嵐!(笑)
婚約式で牧師先生が話された神様のメッセージ
さて、婚約式は、礼拝の中で行われたため、牧師先生からのメッセージ(「説教」と呼ばれたりもしますね)も。
私なりに聞いた話をまとめると……
- 旧約聖書「創世記」によると、「結婚」は人間に罪が入る前から神が定めた祝福されたものであり、人間が決めたものではない。
- 神様にとって「結婚」は、「二人で一人」である。
- 「婚約」は結婚へ向けて互いを高め合う貴重な期間であり、清いものでならなければならない。
- よって、二人をひきさくものがあってはならない。
こんな感じでしょうか。
なんか堅苦しい表現となりましたが、要は「結婚というすばらしいタイミングを神様が与えてくれるまで、大いに希望と清さをもって待ち望む期間」、それが「婚約」ということでしょうか。
2人は、みなさんが見たことのある「結婚の誓い」のような「婚約の誓い」をし、記念品に指輪と時計を交換し、教会の子ども達から大きな花束をもらっていました。
おめでとうございます!!
婚約式を見守りながら思ったこと
さて、私はというと、私はクリスチャンですが結婚当時は夫はちがったというのもあり、「婚約式」というのは教会でしませんでした。
教会の婚約式に出席したのは今回が初めてではありませんが、いつも思うのが、
「あぁ、こうやってゆっくり結婚する……というより、神様に自然と縁を結んでもらうのを待つような結婚、いいなぁ」
です。
決して電撃婚を否定しているとか、そういうわけでもありません。
(うちは、事務的な事情で結婚を決めてから3か月後には籍だけは入れてました。結婚式は、決めたから半年後。ちなみに子どもは、結婚してから4年後に生まれました)
クリスチャンのスタンスは、結婚は「する」ものでなく「させてもらう」とか「神様次第(笑)」なものなので、こうしてゆっくり自分とも相手とも向き合って高め合う期間が設けられるんでしょうね。
私達の結婚生活を振り返る
うちは、2011年の12月に結婚しています。
子どもが生まれてからはほんとにあっという間でした。
そこで、思うのです。
結婚を後悔してるとか、離婚を考えたことは一瞬たりとも今までありませんが、もし結婚前の私に会えるなら、私はこんなことを話してみたいと思います。
- 結婚は、幸せにしてもらうためにするものじゃないよ。自分が相手を幸せにすることを幸せにするものだよ。
- 相手の個性を否定してはいけないよ。
- 良くしてもらったことを忘れたり、当たり前と思ってはいけないよ。
- 夫婦の「将来」も大事だけれど、「今」をきちんと見て楽しんだほうがいいよ。
結婚生活は、まだまだこれからなんでしょうけれど、これからも「二人で一人」でやっていきたいです。
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